心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

朝から天気が

2017年01月31日 | ほんのすこし
今朝はこんなに良いお天気だったのですよ。

それが・・・ 午前中どんどん変わっていって。

今では斜めに降る雪が視界を横切る。



空の色があるのと無いのとでは全然違う。
まあ、これが雪国の冬ってものだと少々諦めを持って恨めしそうに空を見る。

でもね、あんなに空が明るくて綺麗なスカイブルーだったのですよ。それがちょっと掃除機をかけて部屋を回っているうちにきれいさっぱりと色が見えなくなっていくって・・・ 期待感ゼロ。
ちょっとはウキウキした気分で外に出たかったし、車の雪を寄せることなく快適に駐車場を出て行くことが出来るという期待感もあえなく撃沈。
仕方が無いね。これが雪国の宿命だものね。出て行く時間の前にエンジンを暖めて、雪寄せをして、準備万端整えて行かねば。

これでも今年は全然雪が少ないの。
これから二月という一番冬らしい月が明日から始まるけど。それでも二月を乗り越えれば後は三月で(当たり前)、三月という言葉を出すときには皆が口を揃えて言う。
「三月になればもう雪が降っても地面が暖かいからね」と。
三月になるっていうことはすでに春に向かっているということ。例え雪がどんどん降ったとしても冬真っ最中みたいに積もったままということはなく、土が目を覚ますから、ということだ。
ということで明日からの二月28日間をしのげば明るい未来が待っている(笑)。

さて、わたしはどうなの?
昨日皮膚科に行って薬も処方してもらって。二週間後にまた受診予定。
薬の効果はまだ格段に見られるといった感じではないけど。マスクをし、できるだけ日光に晒さずにいよう。今日みたいな雪の日こそ外出にはピッタリなのかもしれない。今のわたしには青空は家の中で窓から見ているのが一番なのだ。
だから外を歩くなんて無理無理。
家の中でテレビ体操を始めた(笑)。それでもあちこち体が痛いのは普段どれだけ体を動かしていないかがわかるというものだ。
速音読、テレビ体操、これが日課になりつつある(笑)。

『速音読』

2017年01月29日 | ほんのすこし
齋藤孝さんの『速音読』が届いたので、早速今日から挑戦してみた。

読み聞かせをしばらく前までやっていたが、最近はずっと遠のいていた。朗読や絵本の読み聞かせをするのは好きなのでどんな感じなのかなと思って発売前に予約していたのだ。
頭の体操にもなるらしい。最近とくに頭の劣化を感じていた所なので、効果を期待したいわたし。
はたして効果のほどはいかに?(笑)。

ページを開くとこんな風に大きな文字が。
内容は見知ったものが多い。
最初は夏目漱石の『坊ちゃん』から。



一分で読み終える内容らしいが、初めて読む場合はどの程度の早さが一分なのかわからない。まずは試しに読んでみよう。
第一回は、この内容を読み終えるのに 、1分26秒かかってしまった。自分では結構速く読んだつもりだったが、全然速くなかったというわけだ。その後、次のページ、次のページと『坊ちゃん』の5まで読んでみた。5まで読んでも一つが1分の設定だからその通りに読めば5分で終了するはずのものだ。実際はそれぞれ30秒弱のオーバーだったが。それでも最後の5のページは1分15秒で読み終えた。同じページを三回まで挑戦して時間を書き込める。
別に三回までとしなくても何度も挑戦していいのだろう。

次は『学問のすすめ」だ。有名な文章がずらりと並んでいる。









はたして最後まで続けることができるだろうか?
読みたい文章が沢山あるので時間がかかっても読んでみたくなる。これを全て1分で読み終えることが出来るようになったら、大満足な気がしてならない。頭の体操にはかなり効果があると齋藤先生が書いているが、わたしにはどれほどの効果があるのか・・・
なんでも三日坊主のわたしのこと、継続は力なりを地でいかねば。今年は三日坊主を返納できるようまずはこの『速音読』に挑戦だ!

※※※

先日の顔と首に出た湿疹めいたもの。今度は左にも。顔全体に出て行く気がする。明日は必ず皮膚科受診しなくては。お風呂に入ると赤みは出るが、普通にしていると赤みは出ていないので傍目には湿疹が出ているかどうか触らないとわからない。かゆみもない。
病院に行くのは苦手だなあ・・・

※※※




週末がやってきた

2017年01月28日 | ほんのすこし
夢を見ていた。
夢の中でチャイムが鳴って「起きなくちゃ」って思った。
目が覚めた。

あれって・・・ ほんとのチャイムだったのかな。
でもそんな朝早くにチャイムを鳴らす相手をわたしは知らない。やっぱり夢だったんだ。
でもチャイムの音はとても現実に近くて、あれはわたしの部屋ではなくて別の方の玄関で鳴ったのか・・・
そんなことをぼんやり考えながらぐずぐずと起き出した。

土曜の朝は少しくらい寝坊しても罪悪感が生まれない。まあ平日だって変わらないけどね。
でもなんとなく土曜や日曜の朝はどこか違う気がする。一日が24時間と決まっているのに、その時間が金曜日までとは目覚めたときから違うように思えるのは、テレビをつけたときにも感じる。
いつもと違う番組、出てくる人が違っていて、やはり今日は週末だったのだと。

週末でもやることは決まっている。
第一番に飲む珈琲はミルクたっぷりだ。以前は何もいれない珈琲だったが、ここ数年は牛乳を入れる。なんだか胃に優しい気がして。
こんな所にも年を感じる(笑)。
朝食はしっかり野菜を取るようにしているが、ときどき生サラダが嫌になるときがある。そういうときはお粥に野菜を入れて煮込む。それだけでなんだか体が柔らかくなった気がするから現金なものだ。

洗濯をしながら新聞を読む。お気に入りのコーナーからチェックだ。折々のことば、と天声人語。この二つからわたしの朝は始まる。ようやく頭が覚醒していく。文字が目から飛び込んでそれまであんなにぼんやりとかすれた状態だった頭の中が文字というものを取り込んでいく。ときどきこの二つがシンクロした内容に感じるときもあるが、今日は違った。今日はトランプ大統領が拷問の「水責め」を合法化しようとしていることを述べている。だが、尋問方法に効果的なのは同じ国の人を尋問役に立て、その容疑者の自国の料理を出すことだと米軍少佐が話しているという。鞭より飴、か? 北風と太陽、か?
それにしても次々とやってくれるものだ、トランプ大統領は。
ツイッターフォロワー数が220万?(違ったかな) わたしはツイッターしていないからわからないけど、大統領がツイッターで軽々しく発言するってどうなんだと思うけど。それをわいわい取り上げるのもどうかと思うけど。
皆が関心を示さなければ彼も変わるのかな。
あまりにも敏感になりすぎてる。世界時計も終末に近づいたという。
一体どうなるのか・・・

そんなことを新聞の行間に埋もれさせ珈琲ミルクを飲み終えた。

今日は空全体が雲で覆われている。週末だけの何か特別感を味わいたくなった。何か違うことをしてみたい。何か特別なことを・・・

※※※

アクリル画の一部。

※※※



若き日を思う

2017年01月27日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

夢中で通り過ぎた日々
何もかもが自分の周りで輝いていると
街を歩けばショーウインドーに映る姿は
若さに溢れていて
何をしても弾けていく気がした

あんなに若かったんだ
化粧なんてしたこともなかった
ジーンズとTシャツがあればどこへも行けた
オシャレとは縁遠いわたしがいた

それでもなんだか毎日が永遠に続く気がした
若さの真ん中で
これが永遠に続くと思い込もうとしていた

やがて進路という壁が立ちはだかり
自分が思うほどに
自分は求められる人間ではないということを思い知る
順調に進んできたと思った人生で味わった
初めての挫折

挑戦しながらの仕事は
幾度となく不安がわたしを包んだ
やがて掴む道

そしてもがきながら掴んだ道を
わたしは手放し、第二の道に飛び込む
まだ若さが残っていたあの頃

あの頃
よもやこんな日が訪れていようとは
想像もしなかっただろう
あの若いわたしの耳に
今はこんななのよ と
ささやいたなら
若いわたしは掴んだ道に踏みとどまっただろうか
いや
ささやきなど耳に残さなかっただろう

それが若さだと
今では言える

そしてその若さで良かったのだと
今では言える
後悔ではない
あまりにも若く夢中で駆けた時間が愛おしいのだ

※※※

晴れた日が懐かしく思えるほど今日は風が吹き荒れている。明日はどうだろうか。毎日めまぐるしく変わる天気。およそ冬らしからぬ今年の冬。
そうそう、Mステ見ていたら・・・阿部サダヲさんって歌上手いのね。声、いいんだって思った。

※※※

年々お肌のトラブルが

2017年01月27日 | ほんのすこし
年々肌に異常が出てきている。
2年前の夏場、汗疹かと思ったのが、日光湿疹だったということで市販の薬を我流で使ったらさらに悪化させてしまって大変な目に遭ったことから始まった。それが次の年にも夏場になって、突然同じ場所に湿疹が出た。
もうすぐさま病院へ行った。早く行ったのが良かったのか、前年よりも軽く済んだ。
その他には、帯状疱疹になった。帯状疱疹は三度目かもしれない。
最初のは結婚して数年後に脇腹に出た。
診察していただいた女医さんが、事もあろうにそのときに研修に入っていた医学生たち数名を呼び
「見てごらんなさい。模範的な帯状疱疹よ。肋骨にそって綺麗に出ているでしょ」と説明した。
まさか診察室いっぱいに入ってくるとは思っていず、まだ若い気分のわたしにはとても気恥ずかしく思えた。
そのとき「ぐるりと回ったら危なかったのだ」と言われたことを思い出す。

そのときからかなりの年数が経ち、今の部屋に住むようになってから一度、そのときはどこだったかなあ。まあ忘れるぐらいだからいいのだろう。でも苦しかったのは覚えている。
で、三年ぐらい前、三度目がまた。
それは母と温泉に入っていたとき。母が左ももを見て「お前、その赤い部分おかしくないか?」と言ったのだ。
わたしは全然気がつかないでいたので、不審に思う母が逆に心配性だなあとだけ思っていた。
でもその日、「やっぱりおかしいから明日病院に行って見てもらったほうがいい。皮膚は簡単に思っていると怪我をする。危ないものになっていたら大変だよ」と念を押された。

病院に行く、わたしの大の苦手なことだ。
しぶしぶ行ってみた。前に行った皮膚科だ。かなり年配のおじいちゃん先生がいる。わたしはあまり人を嫌わないけどこの先生だけは苦手だ。ほとんど牛乳瓶みたいな厚い眼鏡をかけていて、患者さんにきついことを言うのが待合室に筒抜けなのだ。前に行ったから今度もここでいいだろうと思っていった。
やはり母の見立ての通り帯状疱疹だった。でもそのときは早く行ったからか、症状も前の二回とは違い、眠れないほどの痛みもなく案外早く回復した。
母に従って良かったと思った瞬間だ。

こうした帯状疱疹や日光湿疹という皮膚に関するトラブルがかなり多くなった気がする。
自分では肌が綺麗だと思っていたが、それもここに来て疑問が高くなった。年々、本当に年々衰えが目に見えている。

そしてまたまた今度はなんということか。
顔と首に湿疹が。
鏡を見てもそんなにわからないが、手で触るとポロポロとした触感がある。なんで?
わたし、何かした?
食べ過ぎ?(そこに考えが行くわたし)

今は右半分だが、これが全体に広がったらどうしよう。まずは化粧しないでおこう。とりあえず様子見。
治らなかったら、月曜日に病院行きだな。
でも原因がわからないのは怖いぞ。

スマホと比べると

2017年01月26日 | 母のこと
母の手作りバッグ。
今日はスマホと並べて大きさがわかるように写してみました。
この間見たときよりもまた増えていました。あの後、ひとりで整理していたらまたまた出てきたらしく、その後引き出し二段にしまっておいたと話していましたので、早速整理したという引き出しからまた出してきました。
母には「せっかくきちんとしまったのに何するの」と文句を言われましたが(笑)。
「ちゃんと写真に残しておきたいのよ」と答えておきました。まさかブログに載せているとは言えません。母はブログというものがどういうものかわからないのですが、時々テレビ芸能人やニュースでブログをやっていてどうのこうのと言うので、あまり良い印象を持っていないようなのです。
だから、内緒です(笑)。

スマホと比べてみるとわかるようにそんなに大きくないバッグです。
このバッグは私のスカートを使ったようです。わたしがまだ若くて痩せていた頃のものです。とても気に入った柄でちょっとエスニック風な感じが好きでした。



これは2種類の布を組み合わせて作ったようです。色の配色を考えるのが面白いのだそうです。よく病院に持っていったようで、これを作った頃はこの作り方が流行していたのか母以外でも持っている方がいて、その方のバッグと自分のを見比べて、自分の配色の方がいいって内心思っていたようです(笑)。

真ん中はバッグインできる小さなバッグ。とても可愛らしいです。

元の材料をどんな形で利用するのか、それを考えるまでがとても楽しいと言います。大きな柄だとそれをどの位置に持っていくかというのもまた面白いようで、下の右側は同じ服から大小二種類のバッグに変身させたようです。






柄の切り取り方、それぞれに面白い感じがあります。

上の青いバッグはわたしの冬のキルティングスカートです。ミニスカートなんて穿いていた頃です。今思うとよくミニなんて穿いていたなあって思います、ほんとに(笑)。

今日はここまで紹介。
また次回に。
明日から雪マークがずっと続きます。夕方戻ってきてからずっと駐車場の雪寄せしていました。もうこれ以上積もらないでほしい!
でも無理なんですよね~。

ちょっと休憩

2017年01月26日 | ほんのすこし
ちょっと休憩。

大粒の雪が車についている。サラサラした雪や小粒の雪だとこんな風にはならないけど。
エンジンをかけしばらくするとフロントガラスについていたこの大粒の雪たちが、その形を徐々に崩しゆるゆると滑る。

さきほどまであったあの、それぞれが違った形でそれぞれが自分の存在を見せつけていた、あの「雪」は温かさの前ではもはやその存在を消し去るのみ。
写真の中でかろうじて留まる、この世に。

一つ一つは小さく、それぞれ同じ形は無く。
集まれば集まるほど、重なり積もれば積もるほど、雪という実体は大きなものと化す。
本当は手の平に乗せれば手の温かさに一瞬で溶けてしまうというのに。

人間も一人一人は違うのに、皆同じ方向を見ると大きなものだと勘違いする。
その同じ方向が時には間違った場所に立っていると、歩み出す一歩は後悔という文字がずっと後をついてくる。
歴史は繰り返すという。後悔や反省が多くあるというのに、なぜ繰り返すのだろう。
人間というのはそんなにも浅はかなのだろうか。

人間、と考えても結局は自分のことだ。
自分ひとりの中で、愚かにも声をあげずに素通りしてきたことが多い。
その方が楽だからだ。
でも楽な人生に果たして何があるというのだろう。

そんなことをなんだかちょっと思った、休憩時間。
珈琲は胸に重い。何もしていないのに疲れている気がする。
いや、食べ過ぎで胃が重いのだ(笑)。
支離滅裂。← これペンで書く、確かに滅裂な文字だ。書くという行為が少なくなり、ちょっとした漢字も書けなくなっている。
パソコンの脇にペンを置いて、チラシを手元に置いて、何か気になった言葉をメモする。その文字のなんともへなちょこ加減さに呆れる。
字が下手になったなあ・・・

いつにもまして話があっちに飛び、こっちに飛び。こんなんでいいのか?
思考が真っ白だ。
疲れたから仕事しよう(笑)。


母の手作りバッグ

2017年01月24日 | 母のこと
ちょっと前に母の手作りバッグを紹介しましたが、そのとき何枚か写していました。でも中身を入れて膨らんだ状態で写したほうがいいかなと思ってそのままでした。
今見たら、これでも大丈夫かな? と思って。

この二つはどちらもニットをリメイクしたようです。
両方とも母のサマーニットを改良しているようですね。
デザインはそれぞれ変えて。右側はまあるい雰囲気で絞る感じ。ポシェット代わりになりそうな可愛い感じです。
小さいけど案外物が入るようでした。

左側は何度か使用しているのを見たことがあります。たぶん夏に病院に行く時に出してきて使ったのだと思います。縁が微妙にまっすぐにしていなくて山形が継続しているデザインになっています。意味分かるかしら。わざとそういう形に作ったみたいです。横になった半月が並んでいる感じ? 

どちらもきちんと裏布を当てていて、中にはちゃんと仕切りがあったり、使い勝手がいいように工夫しています。どれもどこか違っていて「同じ物は作りたくないんだよ」という気持ちが分かります。

こんなことが出来た母ですが、今はニットだと針が通せるけど他は無理だなあとぼやいています。それでも何かリメイクしたいらしく(バッグ作りは無理ですが)古い上着とかセーターを出してきては「これはこんな風にしたら着れるんじゃないか」とか「捨てるのはもったいないから家で羽織るだけなら誰もみないから」とか言って、どうにか改良したいと眺めているのです。
あんなに手が痛いと言うのに、ニットなら・・・ と、一針一針本当にすごい時間をかけてやっています。
後で痛くなるからと言っても、こういう時間(工夫したりする)が楽しいんだとめげずに長い時間かけて直しています。他のこと(歩いたり、ずっと立っていたり)が出来ない分、座っていて出来るしたいことをやりたいという気持ちは強いのでしょうね。

今はまだやりたいことがあって、時間がかかってもやることが出来るけど、これがもっと駄目になったらかなりのストレスだろうなと思います。昨年調子が悪かった時期は、そういうやりたい気持ちも出てこなかったらしく、今年はいくらか上向きになっている気がします。
いつまでもアイデア豊富な母の姿を見ていたいものです。

久しぶりに白子を食べた

2017年01月23日 | ほんのすこし
二日前、本当に久しぶりに白子を食べました。
母には軽く火を通して冷たくしたものを出しました。母はわさび醤油で食べるのが好きなのでそのままです。
わたしはソテーして食べたかったので、オリーブオイルににんにくの香りを移したものにたっぷりのネギを入れて炒め、その中に軽く塩コショーして小麦粉を振った白子を投入。
短時間で仕上げたかったので、ささっと白ワインをかけバターを入れました。

外側は焼けて中は半生。
白ワインに合いました♪

白子はずいぶん前は手頃な値段で食べていたように思うのですが、最近は高いなあって思い、なかなか買えないでいたのですが。やはり冬になると一度は食べたくなります。
昔はフライや天ぷらにもして食べましたが、今は揚げ物をする勇気はなく(笑)、簡単な料理になります。
新鮮なものはポン酢とか酢の物にするとさっぱりしてしかも濃厚な味が楽しめると思うのですが、どういうわけかわたしは冬に一度はこうしたソテーを食べたくなります。なぜなのかわかりませんが。若い頃はソテーして食べるということなど考えたことなかったのです。白子は酢の物、ということが頭にインプットされていたのですね。
それがいつのまにソテーやフライにすることを覚えたのか・・・ 結婚して自分なりに料理を模索する時期があったからかなあ。
これでも子供たちが一緒にいたときには、料理にも燃えていた時期があったのです。本を見たりして自分なりに食材をどう料理したらいいのかって考えるのも楽しかったものです。
作ったものを美味しいと言って子供たちが食べてくれる姿を見るのが嬉しかったものです。

今は母に美味しかったと言われるとちょっと鼻高々になりますが、子供たちに作っていた頃のあのわくわく感は無いように思います。
義務感で作っているわけではないのですが、料理に達成感を求めるといった感じが無くなったからでしょうね。
これもわたしの時の流れのひとつの現象なのかな。

白子、ネギをからませながら久々に食べて、バゲットをオイルにつけながらさらに食べて・・・ ついつい食べ過ぎ。

今度は牡蠣のソテーが食べたくなりました(笑)。ぷりっぷりの牡蠣、早く来ないかなあ。

またまた雪

2017年01月23日 | ほんのすこし
今日は朝から雪。
またまた雪とはいっても、今年の雪は少ないほうだ。
今日は降ったりやんだりで、そのつもり具合がすごい。たった2時間の間にずんずん積もっていく。自分の駐車場はさておき母の所に行き、玄関前から道路の雪を側溝に入れる。
その間にも降るわ、降るわ。

びっくりするのは久しぶりだからであって、ほんとのところはいつもより少ない雪の日数。
でも降り始めるとその多さに閉口する。それが雪国の宿命なのだと改めて感じた一日だった。

車についたこんな雪なんて可愛い類いだ。



よく行くレンタルショップの駐車場には雪の大残骸が。って、これは今日のすごい雪が降る前。それでもこんなに沢山ある。



山のようだ。

明日も明後日も雪マークが続く。
やっぱり雪とは縁が切れないのだなと母と話す。
母の縁側から見える雪景色が少しホッと見えたのは、長年の生活が染みついている証なのだろうか。