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心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ダウン

2020年01月23日 | ほんのすこし
久々にダウン。
年末年始、娘がインフルエンザにかかっていたときも罹患しなかったのに、ここに来て、風邪を引くという・・・数日前から鼻水が出たりしていたけど、午前中はいつもそうなので午後には止まるからアレルギーかなと気にもしていなかったのです。でも昨日の朝からどうも体がだるくて・・・
何もしたくない状態が続き、横になってばかり。風邪じゃ無いの?と母に言われ、常備薬の風邪薬を飲んでいました。
お昼は母とふたりで鍋焼きうどんを食べて、それもスッカラカンに食べたぐらいでした。でも、それから二時間ほどすると、どうも胃がムカムカしてきて、これは一体どうしたものかと思っていました。

でもとうとうトイレに入ったときに吐いてしまいました。
吐いたおかげで胃のムカムカは消えて、その後もなんだか脱力感がありました。これはやっぱり風邪だなあ。そのときは熱は上がっていなかったのです。晩ご飯も食べる気がしなくて早々とベッドに。
母から体温計をかりてきて、測ってみました。
「え?」平熱だとばかり思っていたのが、普段のわたしでは考えられない体温。数字を見た途端、熱がぼっと出てくる気がしました。でも、起きていって薬を飲む力がなくてそのまま。

しばらくすると、心配した母が顔を出しました。
「どうだ?」と聞くので
「熱があるみたい」と答えると、「確か、ほら、あれ、額に当てるやつ、どこに行ったかな。」とうろうろ。
「あ~、それね。場所わかるから、自分でやるよ。母さんは心配しないでわたしのそばに来ないで」と部屋を出るよう促しました。母に言われた熱ピタを捜し、額に貼るとちょっと気持ちよくなりました。薬も飲んで、後はうつらうつら。
うつらうつらの中で、明日熱が下がらなかったらインフルエンザかもしれないな、とか、インフルエンザだったら金曜日の母の診察付き添いはできないな、どうしよ・・・ケアマネさんに連絡しようか、などあれやこれやと頭に浮かんで、どうかインフルエンザではありませんようにと願いながら眠りに。

朝、何度も体温を測りました。測るうちにどんどん熱が平熱に近くなっていきました。
よし!
朝ご飯の準備をし、しっかり食べると「悪いけど、午前中は横になるわ。しっかり治さないと」と話しかけると
「んだんだ、治りかけをちゃんとしねば駄目だ」と母が少しホッとした顔で言いました。熱も下がり、少し元気になったわたしを見て、嬉しそうでした。
今日は午前11時まで休んで、しっかりと充足。明日の診察には付き添いができそうです♪
横になっているときに、茶碗蒸しが食べたいなと思ったので、今夜は茶碗蒸しを作ってみようかな~
皆さんも風邪には気をつけてくださいね。母が
「お前、もしかして中国の風邪だったら大変だよ」と言っていましたが、それには手を振り「無い無い! それはあり得ないよ」と笑って言いましたよ。

今更ですか(笑)

2020年01月21日 | 母のこと
テレビでナイツの塙さんが都会から佐賀に引っ越ししていったときに、一番驚いたことは何かと聞かれたときに「トンボが沢山いたこと」だと答えた。
それを見ていたわたしが
「だよね~。昔は田んぼが多かったからイナゴとかトンボとかものすごい数で移動していたよね?」と母に言うと
「んだな~。目の前がトンボだらけになっていたっけなあ」と、ちょっと目をつぶってから
「昔は飛んでるトンボを捕まえて、尻尾の方を切って、その穴に小さい花を挿して飛ばしたもんだ」と言ったので、わたしが
「えーーーー!!」と素っ頓狂な声を出したら、あわてて
「小さかったからな、皆で違う花を挿して飛ばすから、あれが自分のトンボだ~、とか、自分のトンボはあそこまで飛んでいったとか言って、遊んだものだよ」と説明した。

そして、ちょっと声を落として
「今思えば、悪いことしたなって思うよ。トンボには可哀想なことをしたな・・・」と言った。すかさずわたしは
「今更、80年前のことを懺悔ですかあ?」と笑っていった。
「昔はなんも知らなかったからなあ・・・」

わたしは昆虫とか苦手だったので、そんな遊びなんて考えもつかなかったけど、母が小さい頃は自然の中で沢山遊んだんだろうな。我が母は、今はこうして体が言うことをきかなくなっているけど、きっと健康体ならどんどん外に出て活動していたに違いないとこのとき確信したのだった。

寒い所だからこそと思って

2020年01月10日 | ほんのすこし
数日前から玄関前のひさしの下部分にこんなものを置いています。
ふと思いついたのです。
水を張った上に気に入った葉っぱとかを入れて、外に出しておけば、氷の中に葉っぱが閉じ込められた状態になって、綺麗なんじゃないかなって。

それで、置いた日の次の日に新聞を取りに外に出て確認。
う~ん。
水のままだわ。
その次の日も確認。
今朝も確認。今朝はゴミ出しの日だったのですが、道路は溶けた雪が凍っていて、これはもしかしたら・・・と思って確認。
でも、全然、変化なし。置く場所が違っているのかなと思って、今度は庭の土の上に置いてみました。

いつもの冬と違うなとは思っていましたが、ここまで暖かいとは・・・
氷を期待していたわたしですが、雪かきをしなくて済むことを思えば、助かるといえば助かるなあ。

それにしても本当に変な今年の冬です。
逆にこれからが怖くなります。どかんと大きな雪が、雪だるまみたいな雪が降ってきたらどうしましょ(あり得ないけど)

もし氷が出来ていたらアップしますね。きっと綺麗だと思うので。

でも・・・これって作りたかったら、冷凍庫で作ってみればいいだけの話?

えっちら おっちら

2020年01月04日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

一歩の歩みは遅くとも
えっちら おっちら えっちら おっちら
おいらは歩き続けるのさ

ダイエットできなかったから かなり重くてね
それでも一歩 踏み出して
時間をかけて 踏み出して

えっちら おっちら えっちら おっちら
目指すあの山越えて

えっちら おっちら えっちら おっちら
おいらを待ってる人のいるあの町まで
たとえ時間がすんごくかかろうと
絶対たどりつくんだ、と
一歩一歩踏みしめて

えっちら おっちら えっちら おっちら
鼻歌まじりに歩いていくんだ

おーい
窓から見ている君~
君も一緒に行かないかあ?

※※※


「おほほほ♪」の置き土産

2020年01月03日 | 家族のこと
つい「おほほほ」と口に手をあててしまいそうになる。
だって、このわたしが「おじょうさま」ですよ。

孫が画用紙に「ばあばの絵を描いてもいい?」といって、チラチラこちらを見ながら描いていました。
最初は顔だけ描いていたのですが、そのうち手も足もついて、最後には「ばあばはかわいいおじょうさま」と書き込みました。そういえば描いている途中で
「ばあば、じょってどう書くの?」と聞かれ、
「じ、に小さい よ だよ」と答えたことを思い出しました。
あれは「おじょうさま」と書きたかったけど、「じょ」が思い浮かばなかったのですね。

出来上がって見せてくれたときに、「あらあ、ばあばはかわいいおじょうさまなんだね!」と嬉しい顔を満面に。それを見た孫もなかなかの出来だと思ったようで、
「ばあばにあげる」と言ってくれました。
「後で飾っておくね~」と受け取り、今は飾り棚の上に鎮座ましましてございまする(笑)

かわいいおじょうさまと書かれたからには、大きな口を開けておバカな笑い声なんて出せません。
これからは「おほほほ」と口に手を当てて笑わなくてはね。

孫たちが帰っていった部屋は寒々としていて、おもちゃの片割れがあったり、夜中にのぼせて鼻血が出た後が残っていたり。
そんな跡を見つけては、あっという間だったんだなと。
あの子たちの幼い時代のほんの数日に「かわいいおじょうさまのばあば」がいたことを覚えていてくれるのかしら。きっとこれからの日々の楽しさに埋もれて、忘れていくのでしょうね。
それとも、人と触れあった温もりは、肌にさわりと被さって、しばらくは頭のどこか片隅で揺れてみえるのかしら。

今年はもう会う機会はあまりないかもしれないね。入学式や卒園式があるけど、行けないだろうなあ・・・
置き土産があるから、当分、大丈夫だね、わたし♪

燃え尽きた(笑)

2020年01月02日 | 家族のこと
今日の午前の便で東京へと戻っていった娘家族。
昨日は孫たちがずっと待ち続けていたお父さんが来てくれて、テンションマックス。本当なら29日には会えていたはずでしたが、娘がインフルエンザにかかったことでお父さんの実家の方へは行かないことになりました。だから娘と孫は25日から今日1月2日までわたしのところにいたのです。お父さんは実家でのイベントに参加し、ようやく昨日来ることができたのです。
一緒にいるはずの娘がひとりでわたしのベッドで寝起きして、孫達とわたしは畳の部屋で寝起きし、インフルエンザから隔離? して。
それが功を奏したのか、幸いにも孫達にもわたしにも感染することはなかったようです。

しっかりしたもので三歳と六歳の孫は母親がいる部屋もわかっていましたが、そのドアを開けることもなく、ちゃんとお母さんから「もう大丈夫だよ」と言われるまでわたしと遊んでくれました。
で、回復した様子を知ると安心した顔をしているなと感じましたよ。それでもお母さんが回復し、後はやっぱりお父さんと遊びたい気持ちが大きくなっていったのでしょう。普段でも子供達とよく遊んでくれるお父さんなんだなとわかります。子供達が慕ってくれているというのは嬉しいものですね。
迎えに行ったとき駅から出てきたお父さんに、車に座る順番も上の子は「パパは、わたしの隣!」と開口一番に。それを聞いた下の子が「○ちゃんもパパの隣がいい!」とチャイルドシートに座りながら言います。
モテモテのお父さんは「じゃあ、真ん中に座るからね。そしたらふたりとも隣になるよ」と。
上のお姉ちゃんも下の子もパパが隣に座ると、バックミラーを覗いたらほんとに安心しきった顔でした。

娘家族を乗せてハンドルを握りながら、なんだかちょっぴり惜しいような。
あの孫たちふたりとの攻防戦やら(笑)、ごっこ遊び、学校遊び、料理のお手伝いをしてもらったこと、母のところで遊んだこと、それらがもうお終いになったんだなと思ったら、ホッとしながらも寂しい気持ちがありました。
それにしても子供の心理は見てるだけで面白いです。今回は本当にふたりの違いや年齢の違い、性格の違いなどなど見てて飽きないものがありました。今のこの時期でなければ味わえない楽しい濃い時間でした。

画像は近くの除雪車の待機場所。20台近く置いてあるので結構、壮観です。嬉しそうでした。

さあ、今夜からは母のところで寝泊まりです。ふたりの時間が始まります♪

令和二年!

2020年01月01日 | ほんのすこし
明けましておめでとうございます。

今年はちゃんと年越しを迎えました。自分だけで年越し蕎麦も食べました。娘と孫はギリギリまで起きてましたが、撃沈しました(笑)わたしはそれを見ながらひとり年越しそばを・・・
この際、カロリーは度外視です。

なんだかんだとギリギリ年末までお騒がせモード満載の令和元年でした。
今年令和二年はどんな年になるのでしょうね。年々増加していく天変地異がこれ以上大きくなりませんように・・・
子供達や孫たちのひとりひとりのことを願いながら、年を越しました。
ただ、体調の悪い母が心残り。

今年は母の体が前にも増して調子が良くなりますように・・・

年を越すというのは、数えきれないほどの人の切なる思いを受け入れているのだなと思います。
受け入れ先はどこかわかりませんけどね(笑)

厳粛な気持ちで、静かな時間を味わっています。隣の部屋ではみんなが眠っています。
わたしだけが起きている令和二年の元旦が始まりました。ちょっとわくわくします。何がどうなのかはわかりませんが。
そうそう、母と話していた宝くじを一緒に見るという話はご破算になってしまいました。明後日にでも新聞で確認してみようと思います。もしかしたら、その日がわたしにとっての令和二年の始まりなのかもしれません(笑)

そして、ここを訪問してくださった皆さん、つたないブログに来てくださって本当にありがとうございました。
今年ものんびりと更新していきますので、よろしくお願いいたします。