心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

処分計画を立てる

2015年09月30日 | ほんのすこし
わたしのどうでもいい習慣といえば、これかなぁ。
使用済みの空き瓶。捨てられず、綺麗に洗い乾燥させて取って置く。それが可愛いものだったりすると、絶対残しておくものの中に入る。ジャムの空き瓶だったり、海苔の空き瓶だったり、小さめの瓶が多いのだけどその中でも大きめの瓶がこのマヨネーズの瓶だ。ペネロペのイラストが好きで生協の宅配で頼んだ。この瓶、内容量が結構多いので、消費するのに時間がかかる。我が家ではマヨネーズはあまり使わないのだ。それでも新しいものが発売されていて、イラストが違っていたりするとつい注文してしまったり、自分でも何やってんだ?って注文してから反省することが多いのだけど。最近、新しいものが出ていないので、逆に普通のマヨネーズを買うはめに。調味料って使いたいなって思うときに無いもので、新しいものを買った途端にそれからしばらく使わなかったりする。そんな調味料が色々あって、今日は引き出しの中や棚の中にある調味料の賞味期限点検の日になった。

実は瓶収集を始めたのは、アクリル絵の具で瓶に着色したいと思ったのがきっかけだった。あのときは何個か描いて楽しんだのだが、それから一度も描いていない。描いていないのに、いつか描いてみたいという願望だけで瓶を取っている。先日はその中の瓶をいくつか処分した。泣く泣く(笑)でもまだ残っている。こうして処分する方向に持って行ったら、わたしの生活もシンプルイズベストになっていくのだろうなと思う。まだまだ無理で、一番の無理はもう使わないだろうバッグやら、もう着ないだろう服だろう。これから寒くなっていく。少しでも部屋にあるいらぬ物を処分して広い部屋にしないと、子どもたちが来たときに寝る場所を確保できないだろうな。

空き瓶はときどき花瓶に様変わりする。ちゃんと花瓶はあるのだけど、なんとなくすらりとした瓶の方が良かったりするのだ。コスモスとか。そういうスレンダーな瓶が台所の窓にいつも鎮座している。毎日それを眺めながら〈これ、いつ使う気なんだろね〉と思いつつ。そろそろさよならしようかな……

紙袋を捨てられなかったり、以前は包装紙も取っておいたりしたものだ。結局何にも使えず、最後にはゴミ袋に入ってしまう、その繰り返しだった。包装紙に関してはほとんど処分。後は紙袋。これも処分だね。本は無理だなあ。処分できない。あと仕事で印刷した物。数年前のものも取っている。これはダメでしょ。処分(シュレッダー無いけど、小さく切って)しなくちゃ。こうしてみると、処分しなくちゃいけないものって結構あるかもしれない。10月は処分計画スケジュールを決めよう。そうだ、そうしよう♪

寝そびれた……

2015年09月30日 | ほんのすこし
録画しておいた3時間スペシャル。葉加瀬太郎の音楽クイズ番組をずっと見ていて、ちっとも当たらないけど、懐かしい曲ばかりが出てきていて、ついつい引き込まれて見ていた。短い演奏が沢山あって、贅沢な内容だった。録画しておいて本当に良かったと思える番組だった。これは保存版だな。見終わったのが、11時過ぎ。ありゃ、こんな時間!
慌ててベッドに行ったものの、なんだか眠れず。
とうとう起き出して、パソコンに向かう。

ワードを開いて、原稿用紙縦書きのファイルを出す。
改めて、これまで自分が書いてきたものの不手際さを思い出し、苦笑いをする。指摘された修正点が他の小説にも多々ある。こんな状態でよく応募したものだと後悔するも、もう後に戻れない。
今後は、間違った使い方をしっかり直しながら書いていかねば。
そう思ったら、ふと頭に浮かんだものがあり、真っさらの原稿用紙縦書きに文字を打ち込む。そこに登場するのは夫婦だ。まずは空港の場面だな。
そんなことを頭に描きつつ、文字が次々に浮かんでは消え、やがて自分でも思いつかなかった方向へと向かう。
さて、これからどうしようか……
行き詰まったときは、休憩だ。

ふと時間を見たら、夢中になって原稿用紙に向かっていて気がつかなかったが、すでに2時近くだ。いくらなんでもこれは遅すぎるだろう。明日はしっかり仕事しなくては。明後日は手伝いを申し出たから、仕事にはならないし、明日仕事モードにならないでどうする。ん?明日?もう明日に足を突っ込んでいるじゃないか。
起きたついでに仕事、というわけにもいかないのが、今回の仕事。数字を相手ではちょっと無理がある。やっぱり寝よう。しっかり寝て、しっかり仕事をしよう。

それにしても新しい物語、書きすすめてみたい。どういう展開にするか、夢の中で考えるとするか(笑)
というか、寝れるのか?

すごいね

2015年09月29日 | 母のこと
今日は母に昨夜のことを説明。あれこれと興奮気味に話すわたし。普段は母が話し役でわたしが聞き役なのに、今日はどんだけ昨夜楽しかったんだ?って感じで、流れるように(笑)話すわたしに圧倒されていました。それでも口をはさまずによく我慢してくれたものです。

その母にマスターの三度の作品をスマホに写したものを古いものから順番に見せて説明しました。母も絵を描くので、絵には興味があるのです。2012年、2013年と追うと今年の画面に。
「ほぉ~、街だね」
えっ!
わたし、絶句。
だって、タイトルが「街」だなんて母には知らせていないのです。しかも母は画面に書かれているタイトルの文字「街」は見えません。
「すごい!なんで街だって思ったの?」
「だって、前のが「海」だったから、その印象からすれば、こっちは街だろうなって」
いやいや、そう思えるのは簡単じゃないと思うよ。

母の感性とマスターの意図するところがぴったり合った瞬間だと思いました。
母の美的センスにはいつも驚くことがあるのですが、今日は本当にびっくりしました。そして、それが我が母だったことにとても嬉しいものを感じているところです♪

サロン・ドートンヌ三度目だそうです

2015年09月29日 | ほんのすこし
わたしが唯一行く場所。『MINTON HOUSE』
ジャズのお店ですが、そこのマスターは画家でもあります。これまでもパリで開催されるサロン・ドートンヌに入賞し参加してきましたが、今年もまた入賞した知らせを受け取っていたようです。



2012年



2013年

そして、今年。



今年は奥さまを連れてふたりでパリに行くことにしたようです。来月の半ばから10日間ほどお店は休業。きっと楽しい旅になることでしょう。おみやげ話を聞くのが楽しみです。

こうして三枚のポスターを見ていると、年々変化が見られ、角が取れて行ってるのかなぁとか、深く深く掘り下げていく深層にあるものとか、現物を見てみたくなります。青の色がとても美しくて、見惚れてしまいます。沢山の方に見てもらいたいなと思います。
昨夜はそのマスターの66歳の誕生日でもありました。そして三度目の入賞、それをかねて友人が集いました。でも、準備したのはマスター。逆なのにね、準備しなくちゃいけないのは私たちの方なんですが(笑)
いつもは誕生日には店を休んで奥さまとゆっくり過ごしていたマスターですが、来月のこともありそうそうお店を休んでいられないでしょ、とは奥さまの言でした。
久しぶりにお二人での旅行、うきうきしてると思いきや奥さまが
「なんか疲れるのよねぇ」
と言うとみんなが
「何、言ってるのよ。ほんとは嬉しいのにぃ~」
と言い、ばれたかという顔で奥さまが笑いました。

マスターが準備してくれたサラダは、隠し味ににんにくが入っていてとっても美味しい!



わたしと友人が入ったときには、すでにマスターの同級生夫婦がいてワインが1本開くところ。ワイン好きな二組の夫婦にわたしとYちゃん、そのあとKっちゃんが合流し、貸し切り状態になりました。確認しませんでしたが、多分お店のドアの灯りは消していたのでしょうね。

マスターのシチューは絶品!



ワインにとても合います。

マスターが
「今日は三つのお祝い。俺の誕生日と三度目のドートンヌ。そして、MOKAさんの連続入選」
と言ったので、わたしは大パニック。へっ?
「えー!なんでなんで?そんな祝いをするほどのことじゃないのに」
というと
「みんな一度目は まぐれだと思うんだよ。二度目はほぉ~って思って、これが三度目になると、やっぱり……ってなるのさ」
奥さまが
「MOKAさんのお母さんがまたいいこと言うのよ。入選したって教えたら、なんだまた同じかって。上を目指せってことなのよねぇ」
「親ってそうだよね。期待するというか」
「そうなんですよ。でも、がんばらなくちゃって思えるし」
そういうと、みんな読んでみたいと言うのですが、固辞した私。
「最優秀が取れたら、そのときはぜひ読んでください♪」
最もその頃にはおれたちあの世に行ってるかもなと、言われ、みんな大笑い。
思いがけず、嬉しいお祝いになって、プレゼントもいただいてしまいました。後で合流したKっちゃんが、ワインをわたしにって持ってきてくれました。あぁ、もっと上になれるよう精進しなくちゃ。



そして、Kっちゃんはみんなに1個ずつこんな物もプレゼント。



杉で出来たお猪口です。鼻を近づけると杉の香りがしてとてもいい気分になります。小さいけど高価なものです。手入れさえきちんとすれば、匂いは薄れないし、木の良さがそのままです。日本酒は飲めないので、当分は飾っておこうと思います。
さらに、彼の出張みやげ三点。この三点をめぐって、みんなで恒例の?じゃんけん大会です。



一番初めに勝ったのが、マスターの奥さま。小躍りして喜んでいました。彼女は一番上のクッキーを選びました。これまでわたしはじゃんけんには負けるというジンクス?がありましたが、なんと!二番目に勝ってしまいました。で、選んだのはさくらんぼ羊羹。今日、母にプレゼントします。

わいわいと話は尽きず、8時前からの集まりが12時近くまで続いていました。なかなかみんなが集うことはないので、本当に話題があちこち飛び、楽しい時間を過ごしました。お医者さんのSさん、仕事のときよりずっと柔らかくて、ワイン好きの話もまた興味深いものだらけでした。奥さまとはもっと話してみたくなりました。マスターのところに集まる人たちは、本当に刺激を与えてくれる方ばかり。久々に充実した時間でした。
それにしても、ワインたくさん空きましたね(笑)、マスター夫婦とSさん夫婦そろってワイン好き、どんどん進んでいくのもわかる気がします。それぞれ味わい深いものばかりで、ワイン三昧の日でもありました♪
さぁ、わたしは戴いたプレゼントのワイン、いつ開けようかなぁ……

見つけました

2015年09月29日 | ほんのすこし
街中を歩くということは、わたしにはあまりないことです。昨日、用事が合って街中を少し歩いたら、舗道にこんなベンチがありました。こういうものがあるなんて、ちっとも知りませんでした。
ハチ公は大館のシンボルです。
可愛いでしょ?

ちょっとここに座って、通りを眺めてみるのもいいかもしれないなあと思いながらパチリ。
昨日は夜に集まりがあったので、急いでいましたから、後でゆっくりしたときにでも試してみます。きっと歩きながら見る景色よりもここに座って見る景色の方に何か感じるものがあるかも。そう思って戻ってきました。

昨日の夜のお話はあまりたくさんあって、どこから書いたらいいのかわからないほどです。画像もあるので、後でゆっくりご紹介しますね。
とても楽しい時間を過ごしたのです。

ところで、ライン入れたはいいけど、使い方いまいちわかっていない。友人から連絡が入ったけど、なかなかうまく反応できず、新しいものにはやはり時間がかかる。こういうとき、年を感じますねぇ。

突然の電話

2015年09月28日 | ほんのすこし
夜遅く留守電が入っていたことに気付く。もう遅い時間だ、掛け直すには遅すぎるだろう。
次の日の朝、朝食が済みホッと一息ついているであろう時間帯を見計らって電話した。久しぶりに聞く彼女の声、思っていた通り元気そのものだった。その日も電話の後、二つのボランティアに出演するということだった。
すごい行動力だなといつも思う。やりたいことをやっておきたいからと以前話していた。やりたいことって何?と聞くと、ふふふと笑って答えなかった。

何カ月か、音沙汰のない状態で互いに何かに夢中なのだろうと思っていた。留守電に入っていた言葉を思い出し、なんでわかったの?と聞くと、前にその名前で書いていたことあったでしょ?と。よく覚えていたものだ。
「新聞で見つけたから、電話しなくちゃって」
「あらら、見つかったのね。でも、また同じだったのよ。なかなか上に行かないものねぇ」
「入るだけでもすごいわよ」
「そうかなぁ。もっとがんばれってことなんだろうね」
そんなことを話し、彼女のボランティアもがんばってと励まし、電話を切った。

地元紙の片隅に載っていたペンネームは、誰も気がつかないだろうと思った。
でも見る人は見ていたんだなあ。
ペンネームで良かったとちょっと思った。

今はこれを飾っています

2015年09月28日 | ほんのすこし
絵本とカレンダー。カレンダーは画家の友人がパリに行ってきたときのおみやげで、もしかしたら今年も戴けるかも?ゴッホの絵も掲載されている。ときどきめくって別の絵を見せている。
絵本は最近ずっと買うことがなかったけど、ふと思いついて手にしたもの。挿絵が柿本幸造さんだったので、つい手にとってしまった。『どうぞのいす』ですっかり彼の絵が好きになってしまったからだ。ほのぼのとした絵を見ていると温かい気持ちになってくる。久しぶりに絵本を読みたいと思った。棚には絵本が並んでいる。読み聞かせボランティアをしていたときに結構購入したが、メンバーの中には絵本の数が半端じゃなくある方もいて、まだまだだなぁと思っていた。でも、読み聞かせからも遠ざかり、絵本を買うことも無くなった。今は手元の絵本をときどき引っ張り出しては、ひとり読み聞かせをしている状態だ。いつか孫にも読む機会があるだろうなと思いつつ。

長くわたしの部屋に鎮座しているテディ・ベア。名前はちゃんとあったはずだけど・・・オークションでやってきたクマさんだ。ハロッズの2009年発売クリスマスバージョンらしい。赤いクリスマスカラーのニットを着こなしているところが好きだ。
わたしの周りにはこうした好きなものでいっぱい。母のように季節感を考えて、一点主義で飾ることはあまりなく、ほとんど変わり映えのないものとなっている。いったん飾ったら、かなりの期間飾っている。段ボール箱に押し込んでいる他のカップ&ソーサーやら、飾りものも孫が来るというときにしまいこんだままだ。もうすでに棚に手も届くようになっているし、壊されると困るものは事前にしまったのだ。

先日、母と話していた。大事に箱に入れてとっておいても、結局出さずに終わったら、その物の良さを見ることがないのでは?ということを。なぜそんな話をしていたかというとふたりで『なんでも鑑定団』を見ていて、骨董好きの親とか祖父とかが取っておいた物をその遺族がもらっても、その物に何の感動もなかったら大事に物置とか倉庫に取って置いてもつまらないんじゃないかという話になったからだ。
まぁ、わたしたちには後世に残すような代物はないので、心配せずともいいのだけどね。それでもしまいこんでいる物を出してきて愛でてあげることをしてあげないとなあ。子どもたちが欲しいものがあればそれにこしたことはないのだけど。どうも好みが違うらしい(笑)

ちょっと飾る物を入れ替えてみようかな。



後ろのお皿なんてずっと飾りすぎ!気にいってるからいいのだけど。手前のスージー・クーパーはシンプルで可愛い。こういうお皿を集めるのも好きだったな。



ミニチュアのウエッジウッド。可愛くて見ているだけで楽しい。
そんなことを思っていると、結局入れ替えなんて出来なくなってしまう。
たぶん、12月にはこれらも箱の中にしまいこんで、孫が来ても大丈夫なように変身させることになるだろう。それまでの間、楽しまなくちゃね。

十五夜

2015年09月27日 | ほんのすこし
夕方、温泉の帰りに、母とフロントガラスに見えるお月さまを発見。
なんという大きさ!しかもクレーターとかがくっきり見えて、幽玄の世界を物語っている。母が
「こんなに大きく見えても、夜になればもう少し小さく見えるんだよね~夜に窓を開けてみてみようか」
と、話していた。わたしも運転しながら頷いていた。
あまりに大きかったけど、スマホで写すと思っていた以上の画像は取り込めなかった。しょうがないね。



朝から十五夜だということがわかっていたので、ちょっと変化を与えようと思ったけど、やっぱり付け焼刃は無理だね。満月も全然大きく映らないし、ぼんやりしか映らない。

苦肉の策(笑)それが冒頭の画像です。
以前に買っていた大判風呂敷。月夜にうさぎさん。ススキの中をうさぎさんが飛び跳ねているのが素敵だったのでつい買っていた。
それを40型のテレビに掛けて、十五夜の雰囲気を味わった。お供えは何もないが。
今しがた、ベランダから空を見たら、煌々と光るお月さまが。
なんて素敵な月夜。

お月さまがそこにいる。それだけでなんて気持ちいいのだろう。

美しい言葉を使いましょうね

2015年09月27日 | ほんのすこし
「美しい言葉を使いましょうね」
その言葉を反芻してみた。美しいという言葉にとらわれ過ぎていて、本意を考えることまでできていなかった。通り一遍の見てくればかりに囚われていたように思う。何年も前にゴスペルを指導してくださっている高瀬先生が隣町の成人式でおっしゃった言葉だ。
「言葉を綺麗に使おうとすれば、所作も綺麗になりますよ。所作が綺麗だと、気持ちも綺麗になりますよ」
気持ちが綺麗だから所作が綺麗になり言葉も綺麗になるではなく、言葉を丁寧に使っていくうちに、自分の内に在るものが清められていくのだと先生はおっしゃっていたのだと思う。時折、あのときの先生の言葉が脳裏に浮かんでくるときがある。

何かにイラついて、怒っているとき。激しい言葉が口を衝いて出る。そのとき「美しく」怒って言えるのか?
否、である。怒り、怒鳴り散らかす、そこにある言葉は周りに衝撃を与えるものばかり。話す本人は、話したことでうっぷんが晴れるかもしれないが、その場に漂う不穏な空気はなかなか消え去らない。
それが自分だったら……この狭い部屋に苦しい居心地の悪い空気が充満するのだと考えると、怒り狂うのはあまり体に良くないことだと思ってしまう。
それでは自分は美しい言葉を使っているかというと、それがそうでもない。ぞんざいな口調で話すことが多いし、口をついて出たあとで、しまった!と後悔することもたびたびある。なかなか美しい言葉を使う自分にはお目にかかれないのが実情だ。

美しい言葉というものを考えてみるに、聞いていて気持ちのよいものということがある。なぜ気持ちがいいのかというと、その言葉を発したときの相手の心根に共感するものがあるからだと思う。それは決して気取った言い方という意味ではない。方言だろうと、幼い子が言う言葉だろうと底にある優しさが見えれば、美しさにつながるのではないかと思う。
先生はきっと言葉づかい一つにでも心を込めて接すれば、相手との関係も豊かで温かいものになると教えたかったのだろう。そして、常に言葉というものを大事にしていくことを忘れないでほしいということなのだろう。

乱暴な言葉づかいをしないよう、相手を傷つけるような言葉を使わないようにしようと、時々思い出しては反省材料にしている。
そういえば、先生の言葉づかいはいつも綺麗で美しい。いつも笑顔が絶えない。
あるとき先生がこう言った。
「皆さんは鏡を見るでしょ?わたしも見ますよ。わたしは毎朝起きたらすぐに見るの。そして、鏡に向かって笑顔でこういうの。〈あら、今日のわたしはなんて素敵なの!〉昨日、寝不足で顔が腫れていてもかまわないのよ。目の前の自分が最高に輝いているって信じることが一番なの。朝一番に笑顔で自分に言うのよ。〈今日も素敵な一日が始まる!〉皆さんも試してみてくださいね」
綺麗な先生は笑顔も素敵だし、いつだって綺麗だからいいよねなんて思って聞いていた。でも、後になってわかった。先生が毎日続けてきたことが今の素敵な先生になっているんだって。

美しい言葉を使う。先生の顔を思い出して、わたしも使っていけたらと思う。




どこに行っても空はある

2015年09月27日 | 朝のことば&つぶやき
見上げる空、その色や雲の形、それぞれ毎日違っていて、わたしが住む町でも子どもたちが住む町でも見上げるとそこに空はあった。
そしてまさしく秋の空だった。

わたしからすれば、都会だと思う息子の住む街はどこか田舎の空に似ている気がした。見える視界の広さがそう感じさせるのかもしれない。空の下には高いビルやぎっしりした建物覆われているといった感じの娘の住む街とはまた違う印象を受けた。東京から少し離れただけでこんなにも空気感が違うのだと思った。それぞれの空の印象は違っても。

それでも見上げる上には空がある。
わたしとふたりを結ぶ空がある。
そしてふたりと誰かを結ぶ空がある。

見上げたその先に、いつもどこでも空があるということにホッとする。
この空がいつも通りにそこにあるということが、奇跡であり、当たり前ではないのだということを何かが起きたときに知る。それまではちっとも考えもしなかったのに。浅はかな自分。恵みの中にいることに少しも気づかずに生きている。この空があるから、わたしは息をして生きていける。わたしを守ってくれている空よ。

ふと見上げた先に在る空。どこに行っても視界の上にある空。青というたぐいまれなる美しい色のグラデーションをその変化を楽しませてくれる空に、わたしはいつも憧れる。

ときにはどんよりとした雲に覆われ、グレーという色のグラデーションだけがある空でも、やがてはその後ろにある青の世界が開けてくるのだ。決してグレーが一生続くわけはない。そう思えば、今目の前の空がグレーであっても、やがてあの青の世界がわたしの前に開けてくるその瞬間を待ちわびるという楽しみが生まれるのだ。
あぁ、空がそこにあること、どこに行っても見上げるそこに空があること、それがどんなにココロに安心感を与えてくれていることか……
ありがとう、空よ。
わたしに幾ばくかの力を与えてくれる空よ。