昨日が祝日だなんてちっとも気付かずにいたわたし。
曜日の感覚もなくなっていて、ただ28日だけは覚えていたけど(笑)。
昨日、お昼を食べながら母が。
「今日は、なんの日だっけか」と言うので、
「えっ? 何? 今日って祝日だった?」と答えてしまった。
「なんだお前、休みだって知らなかったのか」
「そういえば、マンションの駐車場にたくさん車が止まっているなあって思った。そうか休みだったのか。ん? 今日ってなんの日だっけ」
「前はもう一日お前が生まれるのが遅ければ天皇誕生日と同じだったのにってよく思ったもんだけどな」
それを聞いて、
「あー、みどりの日だ!」と答えたわたし。
「そうかあ、でも、なんだかその前に別の名前になっていなかったかあ?」
「そうぉお?」
自分で答えて、返答に自信がなくなっていくわたし。
こそっとスマホを出して見た。
が~ん。
なんてこった!
昭和の日ですと? いつよ、その名前になったのは。
というか、みどりの日というネーミングが昭和の日に鞍替えしたことにちっとも気付かずに数年過ごしていたわたしがいるということに茫然。
わたしの中では天皇誕生日の後はみどりの日、それから変わっていないということになっていたのだ。
その点、母の頭には名前の変更は二度あったとインプットされていた。ただ順番が違っていたけどね。
わたしは母よりも世の中に出遅れていたということになる。
それにしても、「昭和の日」だということに気づかないのはテレビを見てもそれに関連するものが見当たらないからじゃないの?(自分のことを棚に上げて)せっかく「昭和の日」というネーミングにしたのなら、8月15日になるとどこでも戦争のことを取り上げるようにこの日にはもっと広く戦争も含めて昭和のことを取り上げてみたらいいんじゃないの?
わたしみたいにすっかりなんの日なのか知らずに過ごす人もいるんじゃないの?
そもそも祝日にしたということはそれなりに意図があってのことでしょう。なんだかねぇ。
身近に母という昭和時代を知っている人間がいるから、一緒に話題にできることもあるけど、それもだんだん記憶の底に途切れがちになっているし。せっかくの機会だから、昭和時代のことをもいちど話してみるのもいいな、母と。
そう思って、しばし昔のことに思いを馳せた母とわたしだった。
曜日の感覚もなくなっていて、ただ28日だけは覚えていたけど(笑)。
昨日、お昼を食べながら母が。
「今日は、なんの日だっけか」と言うので、
「えっ? 何? 今日って祝日だった?」と答えてしまった。
「なんだお前、休みだって知らなかったのか」
「そういえば、マンションの駐車場にたくさん車が止まっているなあって思った。そうか休みだったのか。ん? 今日ってなんの日だっけ」
「前はもう一日お前が生まれるのが遅ければ天皇誕生日と同じだったのにってよく思ったもんだけどな」
それを聞いて、
「あー、みどりの日だ!」と答えたわたし。
「そうかあ、でも、なんだかその前に別の名前になっていなかったかあ?」
「そうぉお?」
自分で答えて、返答に自信がなくなっていくわたし。
こそっとスマホを出して見た。
が~ん。
なんてこった!
昭和の日ですと? いつよ、その名前になったのは。
というか、みどりの日というネーミングが昭和の日に鞍替えしたことにちっとも気付かずに数年過ごしていたわたしがいるということに茫然。
わたしの中では天皇誕生日の後はみどりの日、それから変わっていないということになっていたのだ。
その点、母の頭には名前の変更は二度あったとインプットされていた。ただ順番が違っていたけどね。
わたしは母よりも世の中に出遅れていたということになる。
それにしても、「昭和の日」だということに気づかないのはテレビを見てもそれに関連するものが見当たらないからじゃないの?(自分のことを棚に上げて)せっかく「昭和の日」というネーミングにしたのなら、8月15日になるとどこでも戦争のことを取り上げるようにこの日にはもっと広く戦争も含めて昭和のことを取り上げてみたらいいんじゃないの?
わたしみたいにすっかりなんの日なのか知らずに過ごす人もいるんじゃないの?
そもそも祝日にしたということはそれなりに意図があってのことでしょう。なんだかねぇ。
身近に母という昭和時代を知っている人間がいるから、一緒に話題にできることもあるけど、それもだんだん記憶の底に途切れがちになっているし。せっかくの機会だから、昭和時代のことをもいちど話してみるのもいいな、母と。
そう思って、しばし昔のことに思いを馳せた母とわたしだった。