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心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

とんちんかんな会話

2016年04月30日 | 母のこと
昨日が祝日だなんてちっとも気付かずにいたわたし。
曜日の感覚もなくなっていて、ただ28日だけは覚えていたけど(笑)。

昨日、お昼を食べながら母が。
「今日は、なんの日だっけか」と言うので、
「えっ? 何? 今日って祝日だった?」と答えてしまった。
「なんだお前、休みだって知らなかったのか」
「そういえば、マンションの駐車場にたくさん車が止まっているなあって思った。そうか休みだったのか。ん? 今日ってなんの日だっけ」
「前はもう一日お前が生まれるのが遅ければ天皇誕生日と同じだったのにってよく思ったもんだけどな」
それを聞いて、
「あー、みどりの日だ!」と答えたわたし。
「そうかあ、でも、なんだかその前に別の名前になっていなかったかあ?」
「そうぉお?」
自分で答えて、返答に自信がなくなっていくわたし。

こそっとスマホを出して見た。
が~ん。
なんてこった!
昭和の日ですと? いつよ、その名前になったのは。
というか、みどりの日というネーミングが昭和の日に鞍替えしたことにちっとも気付かずに数年過ごしていたわたしがいるということに茫然。
わたしの中では天皇誕生日の後はみどりの日、それから変わっていないということになっていたのだ。
その点、母の頭には名前の変更は二度あったとインプットされていた。ただ順番が違っていたけどね。
わたしは母よりも世の中に出遅れていたということになる。

それにしても、「昭和の日」だということに気づかないのはテレビを見てもそれに関連するものが見当たらないからじゃないの?(自分のことを棚に上げて)せっかく「昭和の日」というネーミングにしたのなら、8月15日になるとどこでも戦争のことを取り上げるようにこの日にはもっと広く戦争も含めて昭和のことを取り上げてみたらいいんじゃないの?
わたしみたいにすっかりなんの日なのか知らずに過ごす人もいるんじゃないの?
そもそも祝日にしたということはそれなりに意図があってのことでしょう。なんだかねぇ。

身近に母という昭和時代を知っている人間がいるから、一緒に話題にできることもあるけど、それもだんだん記憶の底に途切れがちになっているし。せっかくの機会だから、昭和時代のことをもいちど話してみるのもいいな、母と。
そう思って、しばし昔のことに思いを馳せた母とわたしだった。

今度は自分のところ

2016年04月30日 | ほんのすこし
母のところの片付けも終盤になってきましたが、今度は自分のところを片付けなくてはいけません。
連休に息子たちが帰ってくるので、寝る場所を確保しなくてはならないのです。寝る場所もないほど散らかしているのか? と呆れられてしまいそうです(笑)。
まあ母のところの片付けに追われて自分のところにまで配慮が及ばなかったということにしておきましょう。

それにしても同じところに12年も暮らすということは物が増えるということになるのだなと改めて感じます。そのときどきで私にとって必要だと思われた?ものがそこかしこにあります。その物を手にしようと思ったのは、それが手元にあったら私はこんなことをして、こういう場所に行って…… という夢想が果てしなく広がっていったからです。でも、いったん手にしてからその夢想が現実のものとなったのは、ほとんどなかったと言ってもいいでしょう。お金を出して手に入れた結果がこうだとは、夢想した時には少しも考えなかったのですねぇ。

今ではそのときに手に入れた宝の持ち腐れ的な品物が段ボール箱に入ったり棚に鎮座したり。大きなバッグは新品同様で、旅行に行くとしたら…… という夢想が広がり手に入れたもの。でも現実は同じバッグだけを使っているし。色が綺麗でこれを持って歩いたら気分がいいだろなと思えた大きなバッグも実際に使用したのは一度だけだったし。格式ばったところに出席するときにはこんなのがあったらいいだろうなと思えて買ったバッグ数点は、現実世界とはかけ離れていたし(そんな格式ばったところに行くことなど皆無だ!)、ただただ棚に鎮座しているだけ。
でも、もしかしたらこれを孫が大きくなって見たときにレトロさが気にいってほしくなるかもしれない、などとまた夢想する。その結果、棚からバッグが消えることはなくなる。

箱に入ったままのバッグ、今の自分の生活と程遠いものはやっぱり不必要な物の部類に入るのだろうなあ。

本、読み終えた本を整理して箱に詰めよう。
こまごましたものも整理しよう。いくらかでも部屋を広く見せる工夫が必要だ。今日・明日とまたまた片付けに専念する予定のわたし。
片付けばかりで肝心の料理は頭からスポッと抜けていた。はて、何を準備したらいいだろうか。ここしばらく料理らしきことをしていない。今、何が市場に出ているのかもわからない。山菜は食べるのかな。

そうそう、お墓参りにも連れていきたいなあ。


ひと干しする

2016年04月29日 | ほんのすこし
先日、一日部屋で少し大きめだったカブを干した。八つ割ぐらいにして。
いい具合に水気が抜けたカブを浅漬けにしてみた。塩芽かぶを入れて。
塩は押さえ目にしてみた。

うん。
いい感じ。
カブに甘さが出た。

調子に乗ってただいま春大根も割って干している。
今度は鶏肉と煮てみようかと思ってる。味付けは何がいいだろうか。たまに味噌を使うのもいいかもしれないな、などと表面が少し乾いてきた大根を見ながら思ってる。

ひと干しすると、野菜のうまみというか、甘さが出るような気がする。

人間も軽く水分が抜けた方が、素材本来の味が増すのかもしれない、などとうそぶいてみる(笑)

これから出来上がった干し大根を持って母のところへ行こう。
途中で鶏肉を買って行こう。

キッチンに立つのが楽しみだ♪

苦手なもの

2016年04月29日 | ほんのすこし
苦手なのに、どうして写したの?って言われそうですが。
わたしは小さい時からこのツクシが苦手なのです。どう苦手なのかって言うと、友達と草はらで遊んでいて、よくツクシを摘み取ったりしたものです。シロツメクサを摘んで冠を作ったりとか。ツクシはなんのために摘んだんだろう? 
その摘み取るまではできたのです。でも、摘み取ったあと、目を近づけてツクシの表面を少し広げてギザギザした線に隙間が出来ると、それを見た途端心の中で悲鳴が。

昔、漫画を描いてみたくてGペンと墨汁を用意し、鉛筆描きの上にペンを走らせたときに、間違って自分の手の甲に墨汁が落ちたりすると墨汁が甲の上をちりちりに広がっていくさまを見て、鳥肌が立ったこともあります。
なんといったらいいのか、ツクシに感じるのと同じようなおぞましい印象が目の前の線を見ると出てくるのです。自分でもどうしてだろうと思うのですが。

だから毛細血管を次々と通っていく道筋がドラマなどで見えたりすると、ツクシとだぶってしまうことがあります。全然違うものなのにね。

今は小さい頃とは違い、心の中で悲鳴を上げることはなくなりましたが、あの線が次々と広がっていく状態はやっぱり苦手な気がします。こうして入力していると首が痒くなっていく気もしてきました(笑)。単純なわたしです。

この苦手なツクシ、食べるそうですね。煮るとか。天ぷらにもするのかな。
わたしは食べたくないなあ。
それなのに、どうして写したの? って、また自問自答。

やっぱり春だから。
これまた単純。
春を感じるものを見つけた♪ って思ったから。
しかもなんだかふたり寄りそっているような雰囲気で、遠くで見てるだけなら可愛いし。



でもあんまり多くあると、やっぱり苦手かも。
ふたつくらい、ちょこんと在るのがわたしにはいいのかもしれない。

そうそう、芝生に一輪だけ水仙が。



お仲間がいなくてさびしくないかしら。

びっくりぽんの到着

2016年04月28日 | ありがとう
思いがけず、宅配便が。
中身はコッポラのワインだとか。まだ開けずにとっているけど。今日のためにって送ってくれたのだけど飲むのはなんだかもったいない気がして。

びっくりぽん、ひそかに一日が終われば…… と思っていたわたし。
でも母にも言われていて。今日はお寿司でも、とか。
いいよいいよ、片付けもあるし、って答えてたわたし。

それでもピカピカのキッチンに立ち、引き出しの中やつり戸棚の中に収納したり、汚れてもいないのに人工大理石を拭いたり。
母に頼まれ裏庭に咲いていた白い水仙を一輪摘んできた。青い一輪ざしに差すとキッチンに映えた。
上になんにもなかったキッチンがどんどん様変わり。これからどんどん二人の思惑が増えていって、真っさらのキッチンが変化していくのだろうな。なんにもない潔さがごちゃごちゃしたものに変わらないよう、気を引き締めていかなくては。

「買い物に行ってくるから」と言うと
「疲れたろ。今日は寿司でも買ってきて何もしないようにしよう」と。
「でも野菜不足だから、野菜だけは採ろうよ」
「わかったわかった」
そんな会話をし、母からこれで買ってこいとお金を渡された。いいっていいってと言ったのだが、頑として受け付けない。ありがたくもらって食べたいものを買ってくることにした。

友人からいただいた蕗を薄くスライスし炒め煮。もやしとピーマンは蒸し焼き。これで野菜不足を少し解消しよう。後は久しぶりのお寿司。お寿司やさんのお寿司じゃないけどね。それでもまあいいだろう。
食べるものがあるので、行かないと言っていた母を誘って温泉に。
やっぱりいいね。

いつもより二時間ぐらいも遅くなった夕食だったけど、母が
「なんだか悪いねぇ。お前の誕生日だって言うのに、わたしの食べたいものばかりになって」と申し訳なさそうな顔をした。笑って
「何言ってるの。母さんからもらったお金で買ったんだよ。ありがたいよ。それにほら!(とキッチンを指差す)今年はこんなにすごいプレゼントがあるじゃないの♪」
「そうかあ?」
とまんざらでもない顔をした母がいた。
ふたりとも顔を見合わせてふふふと笑った。

母の中ではわたしの誕生日までにはリフォームを終えたいと思っていたようだ。それがちゃんと叶ったので一安心というわけだ。嬉しそうな顔の母、この四月ずいぶん大変な毎日だったけど、なんとか終った。業者さんはどの方も親切で優しかったし、ふたりの我がままにも不満を言うわけでもなく快くやってくれた。
なんだか周りには善き人ばかりがいたような、そんな一カ月が過ぎようとしている。

疲れたけど、なんだかそれが気持ち良い疲れとなってわたしの中に残った。
今年の誕生日は忙しさに埋もれそうになりながら、ようやく少し落ち着いたひとときを味わうことができた。
それにしても、いつも忘れないでプレゼントを送ってくれるなんて、ありがとう。
びっくりびっくりぽんだったよ。

春の日に

2016年04月27日 | ほんのすこし
暖かな日の光を浴びて、緑も土ものびのびと呼吸をしている気がする。
かすかに空気が淀んで見えるのは、黄砂が混じっているせいかもしれない。
ずっと遠くのこの空の向こうで、まだ揺れにおびえて一日を終えている人たちがいる。
風評に愕然としている人たちがいる。
この空の向こうで。

わたしはただ目の前の時間を夢中で過ごすことに精いっぱいで、お腹いっぱい食べたり、テレビを見たり、ゆっくりお風呂に浸かったり。その一つ一つのことを満足に出来ない人たちがいる。
でも思ってみても何をどうすることもできず、ただコンビニに立ち寄ったら、買い物に行ったら、そのレジに置いてある募金箱にいくばくかを入れてくるだけ。
ボランティアにもなれず。

でも、母と話す。
こうして被災された方がたくさんいることを思って、自分が食べていること、電気が通っていること、水が出ることをありがたいことだと感じることが一番じゃないかと。
このありがたみをついつい日常で忘れてしまう。
あの5年前だって、電気も水もなく普通に使えたときの喜びを忘れまいと思ったのに。
当たり前のことって本当は何もない。
何もかも当たり前じゃなくて、奇跡のようなものだと空を見上げて思う。

今日も母の監督の元、老体に鞭打ってがんばらねば。
(今朝は体中が悲鳴をあげていた。そんなに頑張ったつもりはないのだけど……、母が心配するから言わないでおこう)


あっという間に満開

2016年04月25日 | ほんのすこし
土手の桜があっという間に満開になっていました。
街中の桜はすでに満開をすぎて、花弁が散り始めています。
どこにも行かなくてもこの土手の桜を見るだけで満足できるわたしは、とてもリーズナブルな人間だなあと変に感心しています。

見上げると視界の全面に広がる桜の枝。









このひとひら、ひとひらがやがて地面に舞い降りる。
風に舞い散る。
はらりとどこかへ飛んでいく。
軽やかに飛んでいってほしい。

願わくば、雨に打ちひしがれてなどいないでほしい。
青い空、霞がかった空色の中でふわりとゆらいで軽やかに飛んでいってほしい。

連休前、もう散ってしまうのだろうなあ……

※※※

キッチンの壁紙も滞りなく終了。今日は床のカーペットと物置の床、ボイラーがつきます。もう大体これで終了かなと思っていますが、まだガス台はついていません。料理はまだ無理なようです。
脱衣所のアコーディオンカーテンと居間の絨毯も昨日母と注文してきました。1週間以上かかるようですので、連休中は無理のようです。
注文していたパソコンも入荷済みの連絡をいただきましたが、受け取る時間がなくこれもまた連休明けになりそうです。連休明けは明けで車の定期点検があったり、母の診察があったり。免許更新は上京前日だったりと三月からずっとわたしの忙しさは止まらないようです。
業者さんが終了宣言したら今度はわたしの出番。物置やキッチンに収納するものを綺麗にして入れなくてはならず。今週はその作業に追われそうです。

今朝も母のところに朝食を。こんなこともガス台がつけばやらなくてもすむのですが。いつもすまなさそうに言う母に「なんでもないから心配しないで」と言って戻ってきました。
わたしにとって今しか出来ないことをやっているだけ。
こんなことも出来なくなったらおしまいだものね。
さて、これから洗濯。まだ母のところは洗濯機が使えないのです。

今日も天気がいい。
気持ちのよい朝ですよ♪

※※※

母の悩みは

2016年04月19日 | 母のこと
このところ母の悩みは……、台所のクロスとカーペットをどれにするかということ。
業者さんから渡されたサンプル帳はとても厚くて、母にとっては一枚一枚めくるのも一苦労。カーペットの方はまだいいのですけどね。クロスがねぇ。

で、毎日にらめっこ。
小さいサンプルだけでは全体の雰囲気がなかなか伝わらなくて、ふたりでああでもないこうでもないと。
でもねぇ。所詮この台所だよ、なんだかなあって、結局そこに行きつくわけです。
立派な家ならまだしもこんなちっちゃい家でああだこうだと言ってもなあって感じですかね。
でも、決めないと業者さんも困ります。

今日は大工さんに聞いてみました。
やはり専門家は違いますね。数年先まで見ている。しっかりと教えてもらいました。でも最後はその家の人の好みだからねぇって言われましたけど。
わたしは番外だし、やっぱり母の好みで決めるしかないなって思います。
明後日まではたして決めることができるかしらね。

今日はキッチン下の水回りを一生懸命業者さんが動きまわっていました。
わたしも母もリフォームをなめてかかっていました。
簡単にできるとばかり思っていましたが、すごく手間がかかる、新築よりも解体して新しくするってどれだけ大変なんだ! って感じです。しかも生活する人がいる中での工事ですから、やりにくいことこの上なしって感じだろうな。
互いに気を使い合いながらの毎日、って感じです。

それでもお風呂が出来、キッチンの解体が済み、壁が見えてくるとあぁこれから変わっていくんだなあという気分に。日々変化。その変化がだんだんわくわくするものになってきました。
できれば満足するものを選びたいもの。母にとっては毎日目にするクロスやカーペットです。しっかり選びたいのになんだかあれこれ迷ってばかりのようです。
終いにはわたしに決めてくれって!
それは絶対ごめんこうむりたい。やっぱり母の好きなものを選んでほしいのよぉ♪



1時半から目が覚めてしまいました

2016年04月19日 | ほんのすこし
昨日、わたしの体は興奮状態だったのだろうか。
9時には眠りが襲い、起きていることができずそのまま布団へ。
今日は朝早く母のところに行き、燃えるゴミ二袋を出すという指令がある、それが頭に残っていたからだろうか。母のキッチン、ガスはもう撤去され使用可能なのは電子レンジだけだということが頭にあったせいだろうか。
母の朝食のことも頭から離れなかった。

ストンと眠ったはずなのに、ハッと目が覚めて見たらまだ1時半。まだまだ早いと思ったのだが、なかなか寝ていけず。結局起き出して三時頃ガタガタと台所でおかず作り。夜に昆布を入れておいた味噌汁の出汁はもう十分だろう。新玉ねぎとしいたけ、春キャベツを入れて具だくさんの味噌汁。
ニラともやしとベーコンの炒め物。ネギ入り玉子焼き。
これらを作り、母用に分けておく。

まだまだ時間がある。
仕方がない、全然眠くないのだから。録画していて見ていないものを探していたら、二時間ドラマ。科捜研の女があったので、見る。
見終わるとちょうど6時。よし、行ってこよう。

母の処に行き、ゴミ出し終了。朝ごはんをそっとセッティング…… ん? 寝ているはずの母の姿が無い。
トイレでごとごと音がする。
「まだ眠っているとばっかり思っていたよ」と声をかけると、最近は朝早く起き出して玄関を開けるのだそうだ。大工さんたちが8時には来て作業に入るから、起きたら開けるようにしているらしい。おかげですっかり朝寝坊はしなくなったという。まあ、それはそれで良かったのかもしれない。
おかずを持ってきた話をすると喜んでくれた。なにしろガスが使えないからねぇ。
「食べるときにチンしてね」
「また後でお湯を沸かしてポットに入れてくるから」
「悪いね」
「なんもなんも」
そんな会話をして戻ってきた。早速ポットにお湯を沸かしておいた。大工さんの休憩時間に使うポットなのだ。

あんまり早く起き出したのに、全然眠気が無い。
時間もたっぷりあるので食事の後は仕事に取り掛かる。9時半には家を出るから逆算して仕事を考える。
で、今は休憩(笑)。洗濯が終ったら出かける準備だ。
さぁ、今日もやれることをやろう。
薄曇りの空、晴れ渡ってはいないが、広い空の下で遠くに思いを馳せる。
今日一日を大事に生きよう。

それにしても今夜はさらに早く寝てしまうのではないだろうか(笑)


淡く消えゆく

2016年04月19日 | ほんのすこし
淡くかなしきものの降るなり、と詠んだ人は三好達治。

淡いものはなんであったのだろう。わたしには雪が肩に降りかかるシーンが最初に浮かんだ気がする。若い時代、触れた言葉の柔らかさにどこか甘くじんとするものがあったのは、見るものすべてが輝きに満ちていたからだろうか。
年を経て、今は日々若さから遠のいていく自分がいることに愕然とする。自然の摂理だといえば仕方がないが。

遠い昔、何度目かの式で子どもたちの前、壇上に立ち挨拶をと言われ。うろ覚えの詩を言った。ホイットマンだったろうか。
「お~い、どこまで行くんだぁ、と問いかける なぜならもっと遠くへ行きたいから」と大きな声で言ったとき、初めてのことにびっくりした顔の子どもたちがいた。
挨拶って普通はこうでしょ? といった感じがあったのだろう。それがなかったことにびっくりしたといった顔だった。
たまには変化球があってもいいでしょ、って思った。
そんな若い時代があった。

一番最初に行ったのは、4月に入ってすぐに親の介護で休職することになった方の後釜だ。入学式でも自分たちの担任がいなかった子供たちは待ちかねていたのだろう。
休み時間になるとわたしの手を引き、体育館に引っ張って行った。行きながら
「わたしたちの先生だよ! 先生が来たよ!」と叫んで歩いた。
その嬉しそうな顔を今も思いだす。

他のクラスには先生がいるのに、自分たちには教頭先生とか別のクラスの先生が来る、それがとても不安だったのだろうか。新米のまだペーペーのこんなわたしでも必要とされているんだという思いを味わうには十分すぎる出来ごとだった。

思い出というのは淡くはかないものだ。
だが、はかなくても心の中には鮮明に残るシーンがある。戻ろうと思っても戻れないからこそ、淡いのだろう。
一つの選択で人生の分岐点に立ち、新しい道を歩き始めたわたしにとって短い教師の生活はあっという間に消えていった。

その後の人生は波乱に満ちていたが、いつか語ることがあるだろうか。
いや、無いのかもしれない。
淡い思い出を時折思いだすことの方が、今のわたしには必要な時間だと思えるから。