goo blog サービス終了のお知らせ 

渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

貝三原

2017年03月03日 | open



刀剣界でも何を意味するのかが不明である貝三原の刀工群。
「貝」の意味するところが一切解明されていない。
天文年間には三原城は無く、辺りは一面海だったので、三原と銘する
場所が今の三原城がある三原でなかったことは確かだ。
この天文時代に「三原」と呼ばれた場所がどこであるのかは学術的
にも明らかになっていない。

空想的な推測だが、もしかしたら、貝三原の貝とは蝦夷(カイ)のことでは
なかろうか。
同時期の西隣り鍛冶の安芸国大山住仁宗重が住人ではなく住仁とした
のが、仮にさらに西隣りの二王=仁王との関連性を示す符号として仁
を使ったのと同質であるならば、周辺一帯で同時代的に関係者にしか
分からない符丁なりを銘に残して用いた可能性もある。
尾道の辰房さえも、何と読み、何の意味であるのかは解明されて
いない。

貝三原の貝が蝦夷を意味する暗号であるならば、ヤマトに征圧された
まつろわぬ出雲系のオロチョンの末裔の矜持とも念とも取れる。
ヤマタノオロチの意味はマウリ語では赤い鉄の人を表す。
となると、辰房は赤い丹の意味なりしか。
それならば、辰はタツではなくシンと読むことになる。
辰房は「シンノボウ」と読み、赤い物=鉄を扱う廠という意味であった
のかも知れない。
この地区の砂鉄は出雲真砂砂鉄ではなく、赤目(アコメ)と呼ばれる
砂鉄であった。

こうなると、一気に赤と白の神社の古代対立の構造とそれの複雑な変化
に連鎖するように思えてくる。
日本の製鉄の材料の歴史は、赤土→岩→砂と変化してきたことだろう。
これは同時に赤から白への転換変遷と符合する。
その歴史の中で、熾烈で血に塗られた権力争いが行われてきた。

・二王→仁王。逆転で王仁=ワニ。和邇。
・貝→蝦夷(カイ)。
・辰房→辰砂、褐鉄鉱、赤目砂鉄。

という秘められた古代製鉄と己の鍛人(カヌチ)としてのルーツを示す
暗号が隠されているのではなかろうか。

う〜ん。これで一冊本書けそう。
梅原猛『水底の歌 -柿本人麻呂論-』のような(笑