渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

キャンプベース&フライフィッシング出撃拠点

2024年09月10日 | open



昔、毎週土日、台風の時以外
夏も冬も通っていたキャンプ
場はこういう雰囲気だった。



鏡の中のアンナ~ミスティアイズ

2024年09月10日 | open

汚れた英雄OST 07 MISTY EYES
「NOSTALGIA」~「QUELQUES
NOTES POUR ANNA」〈鏡の中
のアンナ〉~「MISTY EYES」


映画『汚れた英雄』の作中の
曲の中で私が一番好きな曲は、
「ノスタルジア」から「鏡の
中のアンナ」へ移り「ミス
ティ
アイズ」へ繋がる編集
のこの
BGMだ。










北野晶夫がモナコの富豪クリ
スティーン・アダムスを口説
くシーン。
スケジュールが一杯で貴方と
は二人では会えないわ、と言
うクリステーンに晶夫は言う。
" Is your sleeping time of schedule, too? "

スケジュールが取れないクリ
スティーンの箱根彫刻の森美
術館貸し切り見学の時、北野
晶夫は館内に忍び込んで彫刻
のパントマイムで電撃待ち伏
せをする。
草刈正雄さんの英語はまるで
フランス語のような柔らかさ
がある。












「僕は泥棒だ。
君のハートを盗みに来た」











" I am a racer. "








「クリステーン!」










そして北野晶夫はさらに追撃
する。
晶夫を海岸で袖にしたクリス
ティーン・アダムスが一人で
プレジデントホテルの貴賓室
のダイニングルームで悶々と
しながら食が進まない時、晶
夫からバラの花束が届いたの
だ。
しかも、それは広い部屋を埋
め尽くすほどの数のバラだっ
た。
クリスティーヌは呆れながら
も感動して言う。
「ファーンタスティック」

クリスティーンは落ちた(笑

英国人女優レベッカ・ホール
デンは表情の演技が凄く良い。


「アキオ・・・」
「うん?」
「夢を見たわ。あなたがいて
私がいて、ただ抱き合ってい
るだけ。でも最後に」
「僕が死ぬんだろ」
北野晶夫は死を予感していた。

北野晶夫は職業はロードレー
シングライダーだ。
だが、裏の顔は世界中の大富
豪女性たちから資金援助を受
けるジゴロなのだった。
晶夫は大豪邸に住み、また自
己資金のみで湘南の広大なリ
ゾート地に大きなレーシング
ファクトリーを持ち、レーシ
ングチームのスタッフを雇っ
ている。
すべて資金源のパトロンは大
金持ちの婦人たちだ。
そうした性を武器に得た金で
スポーツであるレースを続け
ていた。
なので「汚れた」「英雄」な
のだ。

ところが時代は流れて価値観
が今の若者たちは変わった。
ネット評などでは、性を売っ
て金を得る晶夫の行為を「何
が汚れてるのかまったくわか
んない」という声が結構ある。
今やトーヨコ売り専当たり前
の時代だ。パパ活と称した素
人売春婦も大跋扈している。
女の子が売春したりする事に
も何の抵抗もない。また男も
同様だ。金で女を買いまくる。
公序良俗意識がまるで無いの
だ。
今はそんな時代。
貞操観念とかも何も無い。
それを言い出すと「はぁ?今
時なにそれ?」と言って笑う
連中が今の若者だ。
映画『汚れた英雄』の世界、
大藪春彦の世界などは到底理
解さえできないだろう。
第一、文字など読まないし。
輝く真珠は深く青い海の中に
眠っているのに、それさえも
知らずに貪るように表層を漁
りまくるのが今の人たちだ。
生活は豊かになっても、心は
乏しく、貧しい。
世界で初めてブルーに感光す
るフィルムで撮影された映像
の芸術であるこの『汚れた英
雄』の中に流れる心さえ伝わ
らないのだろう。
映像が綺麗であればある程、
北野晶夫のダーティーさと
純粋さの表裏が浮き立つ手法
の作品なのに、それさえも心
で触れられないなんて。

《パイオニアスピーカー S-07
での再生音》
The Last Hero(Instrumental)
 ”映画『汚れた英雄』より”

 

 




映画のあるある 『汚れた英雄』

2024年09月10日 | open



映画ではちぐはくな映像が結
構ある。
この『汚れた英雄』(1982)で
は、世界グランプリのシーン
で全日本選手権250ccクラス
のレース場面が出てきたりし
ている。
現実世界の映像を拾い集めて
「ツギハギ」をしても、マシ
ンを見れば判ってしまう。

その中でも、ツギハギが酷す
ぎたのがこれ。
世界グランプリで派手に転ん
だのは、翌1983年に世界チャ
ンピオンになるホンダワーク
スのフレディ・スペンサー。
20才。


それが、病院に担ぎ込まれる
と、ヤマハの北野晶夫になっ
ている(笑
ここだけは作りが雑。


現実のレースでは、スペンサ
ーは1982年のグランプリフル
参戦の年にはGPで二度転倒リ
タイヤしている。
だが、ロードレース史上最高
のドラマティックな年となっ
た1983年には優勝争いをする
キング・ケニー・ロバーツと
共に一度も転倒していない。
そして、1983年は第1戦から
最終戦まで、優勝したのはロ
バーツかスペンサーのどちら
かだった。
世界チャンピオンの行方は最
終戦までもつれ込んだ。
ただのチャンピオン争いだけ
でなく、他のライダーたちに
も壮絶なドラマが展開され、
1983年はグランプリロードレ
ース史上に残る名勝負の年と
なったのだった。


 


2ストチャンバーを発明した男と活かした世界チャンピオン

2024年09月10日 | open


ウォルター・カーデン
(1919〜1996)
2ストロークエンジンの脈動
効果によるチャンバーを発明
し、モーターサイクル界に大
革命を起こしたドイツ人。


エルスント・デグナー
(1931〜1983)
ドイツ人。東ドイツモトラッド
社からの出場で世界グランプリ
を戦っていたが、後に西側に亡
命。
日本のスズキと契約してライト
ウエイトクラスで世界チャンピ
オンとなる。

ネット百科によるとデグナー
の経歴は以下。

「ドイツ国オーバーシュレジ
エンのグライヴィッツ(現ポ
ーランド領グリヴィツェ)生
まれ。
出生名はエルンスト・オイゲ
ン・ヴォツラヴェク
(Ernst Eugen Wotzlawek)。

第二次世界大戦後、家族と東
ドイツに移り住んだ。1957年
から1961年にかけてデグナー
は東ドイツのMZ社のオートバ
イを駆り、ロードレース世界
選手権の125ccクラス、250cc
クラスで活躍した。MZの2ス
トロークエンジンは同社の技
術者 Walter Kaaden が発明し
た排気脈動を利用するチャン
バー技術等によって高いパフ
ォーマンスを誇っていた。

1961年8月にベルリンの壁が
完成した後、デグナーは彼の
家族を西ドイツに亡命させる
準備をおこなった。9月13日
水曜日、彼の妻と2人の息子
は西ドイツの友人の協力によ
って、車のトランクに隠れて
国境を越えることに成功した。
一方デグナー本人は、その週
末に開催となる第10戦スウェ
ーデンGPに出場した。125cc
クラスではホンダのトム・
フィリスと年間タイトルを争
っていたが、デグナーは3周
目にエンジン破損でリタイア
する。レース後彼はフェリー
に乗り、デンマーク経由で西
ドイツへの亡命に成功、家族
と合流することができた。亡
命が発覚後、東ドイツ側から
は「わざとエンジンを壊した」
と非難されることになった。

スウェーデンGPでフィリスは
6位に終わり、タイトルの決定
は最終戦アルゼンチンGPに持
ち越されていた。当然デグナ
ーはMZからの出場は不可能に
なったが、個人タイトル獲得
のために他チームからの出場
を模索していた。しかし結局
東ドイツのモーターサイクル
協会にライセンスを取り消さ
れて出場は不可能となり、ホン
ダの125cc・250cc個人・メー
カータイトル独占を許すこと
になった。

翌1962年シーズンには、デグ
ナーは日本のスズキと契約し、
この年から始まった50ccクラ
スでスズキにグランプリ初タ
イトルをもたらした。
同年11月に行われた鈴鹿サー
キットのオープニングレース
「第1回全日本選手権ロードレ
ース」ではトップを独走中に
転倒。その転倒したコーナーが
「デグナーカーブ」と命名され
ることになった」


後にデグナーカーブと命名さ
れた鈴鹿サーキットのコーナ
ーで転倒、新型250マシンご
と火に包まれるデグナー。



この現実の場面は、映画『汚
れた英雄』
(1982)の中でオ
マージュとしてこの
シーンが
ラスト間際に描かれている。

 
デグナーはかろうじて命は
とりとめたが、全身大火傷
の重症で、その後長く浜松
の病院に入院していた。
その後、世界グランプリに
復帰したデグナーの最後の
GPレースは1966年のマン島
T.T.レースだった。
世界グランプリの一戦である
マン島T.T.では、日本人では
唯一伊藤光男氏が1963年に
優勝している。
いずれもウォルター・カーデ
ンが発明したチャンバーを装
着した2ストロークマシンだ。

母国が政治権力者の思惑に
よって二つに割けられてし
まう。
こんな悲しいことはない。
共産主義も資本主義も悪く
ない。
それを利用して自己勢力を拡
大しようとする権力者が悪い。
どちらの陣営も、どんなに綺
麗事を語っても、結局は人の
命や基本的人権などは無視す
る。
私は「権力」が嫌いである。

デグナーについては、こちら
の記事がとても感慨深い。
➡︎ デグナー追想


安芸の宮島 ~厳島神社~

2024年09月10日 | open



何年か前の6月、東京本社から
来た人たちとの仕事明けの翌
朝、彼らが帰京する便までの
時間が空いた。彼らの希望で
宮島を散
策する事にした。
東京人二人、宮島は初めてだ

と言う。
宮島まで行くと、丁度よい塩
梅で干潮時だった。湾の潮位
90cmになると歩いて大鳥居
で行ける。
地中に埋めていない、ただ砂

浜にドスンと立っているだけ
の海の中の大鳥居だ。

宮島のレストラン前で「食い
物くれ~」状態の鹿。



潮が引いているので、大鳥居
のところまで歩けた。





早朝なのに外国人観光客ばか
りだった。
家族連れの金髪の20歳前後の
女の子が、鳥居のそばの海底
にばらまかれたお賽銭を見つ
けて「オゥ!ラッキーペン
ス!」と歓喜の声をあげなが
ら砂浜のチャラ銭を拾い集め
ていた。
話し方を聴いているとコモン
ウェルスの人たちだろか。

私はさりげなく、「どうぞ拾
わないでください」と母親ら
しき
人に英語で言った。
すると、
「拾わないで?どうしてです
か?」
とクイーンズイングリッシュ
で訊くので、私はゆっくりと
落ち着いた口調で単語を間違
えないように説明した。最後
にプリーズをつけるのも忘れ
ずに。
「これらはお賽銭なんです。
日本の人々の祈りがこれらに
は込められています。
この神社は国の宝でもあるん
です。
お手にしたコインはどうか
そのままお戻しくださいな。
お願いいたします」
と。
するとすぐに得心した様子で
「ああ。そうなのね!」と言
いながら母親と女の子は笑顔
で返してきた。
こちらも笑顔を返した。



 


 


猫の不思議

2024年09月10日 | open



なぜ猫は可愛く思えるのか。
謎。




カワサキ

2024年09月10日 | open
 

やっぱ、街にはカワサキだぜ。