私がモンキー50を買った理由
は東北にありました。
この人、しっかりしてるなぁ。
よいチャンネルだ。
心が健全。
そして、真剣に物事を考えて
真剣に人と接している。
ほいきた。富士の裾野のススキ。
日本全国ススキはアメリカブタ
クサに浸食されて絶滅の危機だ
が、富士山ふもとではまだ健在
だ。
富士五湖周辺のススキも見事だ
けど、富士を遠景に見る箱根の
ススキが原もかなりいいぜ。
秋だねい。
これ単純な疑問なんなんです
けどね。
走行中って、一般公道もサー
キットも小さな羽虫が無数に
ぶつかってくるのよね。
だからヘルメットのシールド
全開で口開けて走ったりした
らアウトなのだけどさ。目に
も来るし。
この車のキャブは小さな羽虫
が大量に入ったらどうするの
だろうか。
レーサーでは後方にインテーク
側を配置したり、前方でも直出
しではなく対策しているけど、
これは前方にファンネルがフル
オープン。
虫吸い込んだらどうするのだ
ろう。
即座に適正気化できなくてガボ
ガボなっちゃうよ。
スタイルはカッコいいんだけど
なぁ。
これ、根本部分があかん造り込
みなのでは。
知らんけど。
私自身は軽量趣味二輪として
このまとめ方は極めて好みだ。
この仕上げのモデルならば、
これだけでこれを見ながら酒
がかなり飲める。
ノーマルから換装タンクを載
せて、セパハンにバックステ
ップにした仕様。
ライト周りステーやブレーキ
周り等の細かい改造や排気系
の改造等もあるが、仕上がり
に色付けの取って着けた感が
全く無い。
まるでノーマルでこのままメ
ーカーが売っていそうな自然
さを醸し出しているまとめ方
だ。
タンクをオールドスタイルの
マッハSS350カラーにしてい
るのもワンポイントになって
いる。
SS350。通称マッハ2。45PS。
クラス最速だった。音が独特。
ヤマハのように透き通る音で
はなく、野太いカワサキの2
ストの音。加速するとクォウ
ワッ!という音と共に爆発加
速した。旋回性能は良くない。
旋回性はヤマハRDのほうが圧
倒的に良質だった。
上掲トップ画像の4スト単気
筒と同機種ベースでここまで
いくと、逆にトラッドな英国
車に寄り過ぎていて、微細な
違和感を覚える。
単純にまとめ方、仕上げ方の
方向性の違いだが、そうした
ものは個人の好みによるだろ
う。
醤油ラーメンが好きなのか味
噌ラーメンなのか、あるいは
醤油つけ麺なのか、みたいな。
同じラーメンでもいろいろと
人によって好みはあるような、
その手の類かと思う。
ただ、人それぞれ「琴線」に
触れる仕上がり方というのは
確実にあるだろう。
上掲トップのマシンのまとめ
方は、センスとして私はツボ
った。ずっと見ていられる。
日常的に乗れるちょい乗り用
を含めて、ロングもいける車
でこのようなまとめだと超絶
ほしい。
だが、この車種は120km/h以
上巡行ではピストンとバルブ
にトラブルが発生するし、カ
ムチェーンテンショナーとか
いろいろ問題も抱えている。
セカンドバイクとしてこの車
種を選んで、このSSカラー車
と同じようなまとめ方にしよ
うかと思っていたら、走行相
方の奴から言われた。
「その車はやめてくれ。一緒
にツーリング行けなくなる」
と。
つまり、2スト250ではないの
で、TON-UPは最初からでき
ない車であり、高速道路の高
速度巡行は完全に不能な車種。
TON-UPどころか、新東名の
120km/h制限区間でも合法
速度ぎり一杯で巡行継続した
ら車が壊れる、という車種。
走行能力は4st原付125に毛の
生えたようなものであるのは
確かだ。ヤマハのSR400でさ
えTON-UP巡行は不可能だ。
やはり現行の4スト単気筒の
250は非力だ。ホンダがよく
30PSもの単気筒250を出して
いたなぁと思うが、この画像
の車は20PSだ。
ヤマハの2スト125のRZ125が
22PSだったのだから、その倍
の排気量でさらに低い馬力な
のだからいかに「走らない車」
であるか分かるだろう。
(仏馬力の表記は大文字でPS
が世界的決まり。公式文書で
は世界的に小文字のpsは使用
できない。日本の雑誌やネッ
トでは誤表記が蔓延している
が、正確には大きな誤り。な
お仏馬力と呼ばれるが、PSは
ドイツ語のPferdestärke(フィ
エドシュテァカ=馬力)を略し
たもの)
だが、上掲トップの車は、私
からすると見た目はとてもカ
ッコいいと感じる。
このスタイルで軽く200km/h
程出る車だったら申し分ない
のだが(笑
大排気量では200km/hなどは
現在は当たり前だが(かつて
は地球上では公道用二輪では
排気量を問わず200km/hの壁
が存在した)、このスリムさ
と軽量と250未満の排気量で
200クリアの車だったら最高
だ。
そもそも、現行のどれでも
即200出る大排気量車を前提
に速度を語ったり概念化する
のなどはバカバカしくて話に
ならない。比較で大排気量車
を持って来るのさえ非常識で、
ほんとの論外。それやるのは
本物のバカだ。ジェット戦闘
機を前提として「ゼロ戦は遅
いから」とか言い出すような
馬鹿さ加減だ。
別な例えをすれば、普通車の
四駆車の積載量について考察
している時にダンプを対比さ
せて普通車は積載量が少ない
から等云々するようなもの。
だが、そうした本馬鹿は大型
二輪簡易免許制度以降日本で
はドワッと増えた。小さい日
本人。視野狭窄のくせに大海
を知ったが如く傍若無人に振
舞う慮外者らの推参。
それ以前にはそういう排気量
マウントなどを取る大馬鹿は
不存在だったが、1996年以降
は一気に爆発的に増えた。
多分、難関大学受験が偏差値
32程度の中学受験のように簡
単になった事で有頂天になっ
て自分が偉いと思い込む人間
的素が出た人が大量発生した
のだろう。
そしてそうした愚者たちが小
排気量乗りや普通二輪免許者
の他者を睥睨して喜んでいる。
よほどそれまでの人生で底辺
ばかりにいたコンプレックス
があるのだろう。虐げられた
感を自己発生していた人生だ
ったのだろう。哀れだ。
今やド下手だろうと誰でも乗
れる大型二輪を以て優越感に
浸りたいだけの精神的スカ族
がよくそういう同排気量での
比較が脳内考察不能で、別物
を持って来て対置させようと
するド頓珍漢な発想をする。
そして免許マウントや排気量
マウントを取って自慰的に喜
んでいる。
哀れな存在ではあるが、現実
社会では腐臭の漂う本物のカ
スたちだ。
匿名ネット掲示板でもその手
はやたら多い。
そういうマウントクズたちは
大抵は峠ではその自慢の大型
で原付にぶち抜かれたりする。
なのに虚勢のマウントの自慰
行為を公の場でやる。キモい。
そういう小さな害虫のような
のが群がってごちゃごちゃ蠢
いている。
害虫は殺虫剤で一気に殲滅す
る対象でしかない。
結局はTRとエストレヤのエン
ジンはトコトコ用設計なので、
やはり街中やちょい乗りの趣
味的モーターサイクルの範疇
になるだろう。高速ドカンは
物理的能力としてできない。
高速道路と自動車専用道路も
一応通行はできる原付、程度
に捉えておいたほうが無難だ
ろう。
となると、オールマイティー
に使いたいサブマシンとして
の選択からは外れる事になる。
「用途特化車」であり、それ
ゆえに複数台所有しなけらば
ならないという結果になり、
経済的には非効率的。
お金持ちのお遊びでしか持て
ない機種となる、という要素
を具有の二輪となる。
結論的に、所有は手控える。
友人からストップ要請かかっ
た時に、それを瞬間的に考え
て購入するのは踏みとどまっ
た。
ノーマル状態のカワサキ エス
トレヤ。
これはこれでノーマルでいけ
るが、どうしてもいじりたく
なる食指をそそる車でもある。
でもねぇ、何だか売れてる
みたい。
新車は数年前に製造中止に
なったけど、中古市場でつ
い先ごろまでエストレヤは
玉数が500台程あったのに
今は200台ベースにまで減
少した。
新車からの放出は無くなっ
たのだから、それだけ中古
の在庫がかなり売れている
という事だろう。
初心者からベテランまで楽
しめるオートバイなんだよ
なぁ。瞬発力と最高速は低
いけどさ(笑
まるでちゃうで。
真田広之と佐藤浩市は1982年
の映画『道頓堀川』で高校時
代の同級生役で共演している。
本人たちは実年齢は21才だっ
たが、19才の若者としての役
柄を演じた。
映画をよく知らないライター
が書いた記事かな。
深作欣二監督メガホンの松竹
の傑作だよ。松竹映画に深作
た点でも名作。
原作とは異なるラストシーン
に原作者宮本輝が大クレーム
をつけて監督と喧嘩になった。
あまりにも「男の世界」での
演技が迫真なので、「主演」
だった筈の松坂慶子がノイロ
ーゼになり、撮影が中断した。
女優を撮る会社松竹の映画の
牧歌的な伝統空気を深作欣二
は徹底的にぶっ飛ばした。
画して『道頓堀川』は俳優真
田にとってもこれまでにない
人の内面を演じきった転換点
となる映画作品となった。
その「優しき人」の内面性を
演じる真田の演技の広がりは、
やがて1993年の傑作ドラマ
『高校教師』(脚本野島伸司)で
結実する。
『道頓堀川』(1982)
昇段審査の為にメルボルンに
行っていた友は昨日朝発の
便で帰国。
時間は10時間。
圧倒的な2ストのパワー!
GP500マシンが帰ってきた!
【SUTER MMX500】
排ガス規制とか関係ないとし
たら、同排気量ならば2スト
と4ストでは2ストのほうが速
く、かつ動力性能が圧倒的で
あるのは動かせない事実だ。
だからこそ、二輪速度競技の
最高峰である世界グランプリ
(現在のMotoGP)では全ク
ラスにおいて2ストマシンが
使われていた。
だが、歴史を知らなすぎる自
称「バイク乗り」が今の時代
は多すぎる。
歴史的事実をも脳内妄想で否
定したがるからだ。
賢者は歴史に学び、愚者は経
験に学ぶ。
愚者は自分の目の前の事だけ
が自分の世界観のすべてなの
だ。
それ、二輪走行では危ない。
目の前しか見ていない、見ら
れないからだ。
知性や知見も全く同じ。