【三原】お好み焼?焼きそば?
独特の焼き方をするローカル
お好み焼!
私は東京生まれ神奈川育ちだ
が、祖父の家が江戸時代から
三原市街区だったので、1960
年代初期からよく三原には行
った。
こういうお好み焼きがごく普
通かと思っていたら、尾道や
福山や広島市内(中心部)のお
好み焼きは違う事をその後
知り、結構驚いた。
三原は三菱の街だったので、
関西風が広島市内のお好みと
合体したのではなかろうか。
三原では焼きそばかうどん入
りをモダンと呼ぶ。
鳥のキモの事をモツと呼ぶ。
そしてキャベツがやたら多い。
油を敷かない鉄板で焼くのと
油敷き鉄板で焼くのと二通り
あるが、前者は三原市民にも
賛否両論あり、好みが分かれ
る。
私はよそもんなので手前味噌
や身内びいきなど無しに客観
的に現象や味などを見られる
が、三原のお好み焼きは正直
言ってウマい。
幼い頃から年に何回かながら
食べ慣れた味だからとか、そ
ういうのは抜きにして、正直
ウマい。
そしてソースは実は三原の地
ソースの天狗ソースがウマい
のだが、三原のお好み焼き屋
はいろいろなメーカーのをブ
レンドして工夫している店が
多く、味の違いが店ごとに楽
しめるのが非常に良い。
これが広島市内に行くと、特
定の集団圧力ではないが、特
定メーカー以外のソースを使
うと商工会でつまはじきの村
八分、という裏の事情もある
と市内の人間何人もから聞く。
集団圧力は広島県民全体の得
意技だが、ことお好み焼きに
関しては広島県三原市におい
てはどの店も自由に独自の工
夫の味を出している。
なので三原のお好み焼き屋は
ベラボーに店舗数が多い中、
かなりいろいろ個性が楽しめ
る。画一的な金太郎飴の味で
はないのが三原のお好み焼き
の最大の特徴だ。
これは「お好み焼き」の名前
を地で体現している良現象か
と思える。
東京の蕎麦屋のように辻を曲
がればお好み焼き屋がある程
で、どの店にも行きたい放題
のお好み次第のお好み天国だ。
三原のお好み焼きでもう一つ
面白い現象がある。
それはテイクアウトで持ち帰
った時。
美味しいと評判の店のお好み
でも一日経つと味がガタ落ち
する店と、そうではない店が
ある、という事。
これはピザと同じで面白い。
なにがどうなってそういう作
用が発生するのかよくわから
ない。
その場で食べれば極上でも、
一日取り置きすると味がガタ
落ち、というのと店でも美味
しく、取り置き後も味があま
り落ちないという店がある。
これは何だろ?
謎。
以前、イトコのねーちゃんと
三原お好み焼き店総網羅の
ネットマップ作ろう、と言っ
てたが、イトコのねーちゃん、
50代で白血病で死んでもうた。
そのねーちゃんの兄の子も
20才で白血病で死んだ。
私の父も白血病で死んだ。
広島県、実は多いのではなか
ろうか。
半世紀以上過ぎても、例の影
響が少なからずあるのではと
と思う。
広島市から100キロ離れた
福山市でさえも風向きの影
響か、あの8月6日過ぎには
「黒い雨」が降った事を知
る日本人は多くはないので
はなかろうか。
私の母も「黒い雨」を経験
した。当然三原の人もそう
だっただろう。
大昔の1970年代。
私と都内で接近したある女性
が、私の親が広島県出身だと
聞いてから「え?広島?原爆
大丈夫なの?うつるんでしょ?」
と言った。話していた場を離
れるようなそぶりを見せなが
ら。
1945年の日本人の被爆による
被曝がまるで細菌かウィルス
のように伝染するかと思い込
んでいて、それで自分の身を
案じたのだ。自分のみの身を。
何という無知、何という偏見、
何という差別観。
だが、歴史の現実に目を向け
ず、物事の真実を見つめよう
としない人間は、国籍も居住
地も関係なく得てしてそんな
ものだ。
そればかりは全国版であり、
21世紀の今でも地方に残る
独特の偏波な視野狭窄的独断
と偏見と差別性をも凌駕する
オールジャパンだ。
三原のお好み焼き、殊の外う
まい。
これホント。
客観的に言って、かなりイケ
る独特なお好み焼きを焼く。
三原はタコとお好み焼きだな。
あと真鯛がやたら釣れる。
船を出せば坊主は無い。ゼロ。
坊主がゼロというのは気持ち
がいいぜ~、ハッハー。おれぁ
坊主がでぇきれぇだからよぉ。
坊主なんざは世の中ゼロに限
る。坊主なんてろくなもんじゃ
ねえ。
大げさではなく、三原沖はそ
れほど釣れる。素人でも釣れ
る。私の最短実績は釣り時間
30分きっかりで3人で6尾だっ
た。30分で納竿で6尾。三原の
海は嘘偽りなくそんな感じ。
寺の多すぎる城下町なのに
海に船出しゃ坊主はゼロ。
あ~、気持ちいい。
タコは残念ながら数年前の
豪雨災害(街の一部が水没)に
より、海域の状態に変化が
生じて、今はほとんど地物が
獲れない。
漁協も商店会も非常に困惑し
ている。
三原の地蛸の味は激しい海流
の中で育ったため極上で、他
の瀬戸内海エリアよりも遥か
に味が良かった。もしかする
と日本一ではと思える程に。
あと何年か何十年かは三原の
地蛸は復活できないだろう。
自然災害は恐ろしい。
三原は狭い町だ。
かつての三原城内の現在城町
というエリアのあるお好み焼
き屋は東京の私の叔父の幼馴
染がやっている店で、かなり
イケる。駅からズドンと真っ
すぐに行って最初の信号を右
に曲がってすぐ。駅前から
160メートル。
そして私はここ数年、そのお
好み焼き屋の向かいのバイク
乗りのオーナーとマスターの
店で、連日のように飲み上げ
ている(笑
狭い町なのでどこかで誰かが
繋がる。
その店のマスターが私の友人
の撞球会メンバー二人とひょ
んな事から知り合いだった。
たまたま偶然。道で難儀した
とこを助けたり助けられたり
の一度だけの接触だったよう
だが。
このたび、私を通して久しぶ
りにその三人は再会し、原チャ
でGO!で共に海の上を走った。
点と点が繋がって人の輪が広
がった。輪で輪が広がり和に
なった。
そういう新たな笑顔の関係性
の始まりってのはいいもんだ。