ウチのRが「バーズのTurn!turn!turn!って伝道の書の一節を歌ったものらしいよ」
とまたまた眠りかけの時に音楽の話題を振ってきた
ふふーん・・・伝道の書と言えば日本人には取りつき易いと言われている旧約の章だ。
「伝道者は言う、空や空、一切は空である」まるで仏教の一節のようではないか
最近、ある決まった聖句が色々な所で使われる。その度に日本人て思っていたよりも
はるかに聖書を読んでいるのかな~?と考えたりもする
しかし私にはしっくりとこないのだ。9月11日は大震災から半年という事で、
いろいろな特集が組まれていた。その中のある番組で被災地に赴いたミュージック系
の誰かが被災者を励ますために書いた言葉で「神様はその人に背負える苦労しか
与えない」というメッセージを目にした。これって酷じゃありませんか
励ましになるのかな~?私ならもしそんな事を神様から言われたら
「なんで私なのよ~ 私、背負えませんから〰。背負わせてほしくありませんから〰」
と神様に文句を言うだろうな
クリスチャンではない私がある部分キリスト教というものに共鳴するのは、、
どんな時でも一緒に、このしょうもない、弱い、自分の力では何もできない
人間といて下さる・・というその部分だな。 人一倍の労苦をあなたは背負えます!
と勝手に決めて背負わせてほしくはない
でも、もし背負っちゃう事があったら「一人で苦しんでいるのではなく、きっと
神様も一緒に苦しんで下さっているのよね~」とか思うと少し気が楽になりそうで。
そうなんです。なんでも一人は嫌なんですよ~ バーズの曲に開拓者がやはり
艱難辛苦な新天地の開拓を「神様が一緒にいて下さる!」と自分を鼓舞し
耐えていく歌もあった
伝道の書に話は戻って、いつも疑問に思う事がある。吉田松陰って聖書を
読んでいたんじゃないの疑惑ずいぶん前のブログに書いたのだけれど、
松陰が処刑される前に弟子に残した言葉が大好きなのだが、これが
伝道の書と酷似しているのだ。
因みに伝道の書 第3章
「天の下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、
植えたものを抜くに時があり、(中略 えんえんと時がありが続く)
愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。」
松陰の「人間にはそれぞれに相応しい季節がある」という言葉と基本一緒?
これは聖書を読んだというよりも、偉ーい人って考える事が一緒なのかな
いーや・・読んだに違いない
バーズの「ターン!ターン!ターン!」
これはByrdsの初期の名作です!12弦ギターって綺麗な音色
最近は12弦をめっきり使わなくなったけれど、今使うと逆に新しいと思うんだけどな。
日本でこの12弦を使った有名な曲と言うとスピッツの「空も飛べるはず」
なーんかバーズの曲に似ていませんか?そしてこの曲に似ているのは
猿岩石の「ツキ」
12弦を使うと、図らずもこうなるものか・・やっぱり原曲はバーズなのか・・・
しかし、バーズでもスピッツでもよいけれど、この曲聴くと元気になるな
と・・・おーこの曲もアップされていたかイントロのギターが綺麗ね~。
「どうして僕は旅をしているのだろう」いい曲だ~。森脇君の声に合っている!