夕立は夏の季語。歳時記には、夏の夕方に降る局地的な激しい雨とある。短時間で雨は上がり、涼しい風が吹いてくる。
子どもの頃、夏休みに外で遊んでいると、よく夕立に降られたものである。神社の境内で草野球をしていた時には、楼門の下で雨宿りをした。みんなで肩を寄せ合っていると、大粒の雨に打たれて舞い上がった、生暖かい土埃の匂いがした。
就職して何年目だったろうか。まだ週休二日ではなかった、ある夏の . . . 本文を読む
6月末日、各地の神社では夏越の祓が行われた。筑後一の宮である高良大社でも雨のなか、神事が執り行われた。歳時記を見ると、夏越の祓は半年間の穢れを祓う行事だとある。また、これからの暑い夏を無病息災で過ごせるようとの祈りも込めている。
ただ例年この時期は梅雨の真っただ中で、暑い夏に向かうという季節感はない。インターネットの旧暦カレンダーを見ると(以下同じ)、今年は8月10日頃が旧暦の6月末日にあた . . . 本文を読む
小山慶太著「漱石先生の手紙が教えてくれたこと」(岩波ジュニア新書)を読んでいる。中高生向けの平易な内容であるが、夏目漱石の人物像が分かるなかなか楽しい本である。弟子だけではなく、見知らぬ読者にも丁寧に応対する漱石の生真面目さが伝わってくる。
漱石は手紙が好きで、門下生の森田草平にあてた手紙で「小生は人に手紙をかく事と人から手紙をもらう事が大すきである」と自認している。漱石全集には2,500通 . . . 本文を読む
まだ若い時分、秘書課に勤務していたことがある。
トップと身近に接する職場だけに色々なことがあり、失敗もある。秘書課では先輩たちの珍談、奇談をよく耳にしたものである。それらは別にして、私の話を一例だけ。
まだ秘書課に入る前のことである。のどかな春のある日、上司からトップが君を呼んでいると伝えられた。雲の上の人でもあり、何のことかと秘書課に案内を請い、恐る恐る執務室に入った。すると、いきなり . . . 本文を読む
新聞の投書欄を読んで、思わず苦笑いをした。
その方は私と同年輩で、会社を退職された方である。毎日、家にいると気が滅入る。そういう時は駅まで車を飛ばし、電車に乗って大都市の繁華街に行くそうである。人ごみの中をあてもなく歩いていると、気持ちがシャキッとする。そうして都会の喧騒を堪能し、帰宅するということである。
そうだよなと声を掛けたい。退職して仕事の軛から解放された嬉しさもそこそこに、趣味 . . . 本文を読む
学童保育所では、指導員の先生方は子ども達を下の名前で呼ぶことが多い。いつもは何気なく聞いているが、今時の名前が多い。
数日前、ベネッセコーポレーションが今年の人気名前ランキングを発表した。上から五つを紹介すると、男子は「悠真(ゆうま)」「湊(みなと)」「蓮(れん)」「陽向(ひなた)」「大和(やまと)」、女子は「葵(あおい)」「結菜(ゆいな」「凛(りん)」「結愛(ゆあ)」「陽葵(ひまり)」であ . . . 本文を読む
内田百閒は、その猫好きや、借金漬けの生活、映画にもなった「摩阿陀会」など、逸話の多い人物である。芸術院会員に推薦された時の辞退の理由「イヤダカラ、イヤダ」という名文句もその一つである。
昭和42年、内田百閒は芸術院の推薦により会員の候補となる。ここからは新潮文庫「百鬼園随筆」の川上弘美氏の解説から掻い摘んで紹介する。
会員への推薦を知った百閒先生はこれを断わろうと、自分の弟子を芸術院院長 . . . 本文を読む
評論家の関川夏央が書いたエッセイに「人生は短いと思えば意外と長い。うかうか油断していると、唖然とするほど短い」という件が出て来る。
これは他人の言説の引用という形だが、続いて彼は「人生はまるで小学校の夏休みのようだ」と言う。彼自身は私と同年輩なので、そのエッセイには身につまされることが多い。
小学生の時、7月頃にはまだ夏休みの終わりは遠い先の話であると思っていた。しかし8月も下旬になると . . . 本文を読む
道の駅巡りなどでよくドライブをする。私の地方でも遅れていた道路の整備が進み、あちこちにバイパスが建設されている。当然、便利なバイパスを利用する。
区画整理事業などで整備されたバイパス周辺は市街化しているが、沿道には雑多な店が立ち並び、看板や幟旗が林立している。ウインドウショッピングの楽しみはない。広い歩道があるが、人々は店内か車の中にいる。それぞれの店が自己主張していて、何だか落ち着かない。 . . . 本文を読む
福岡空港に来ている。
私の母の四十九日の法要と初盆供養のため、長男が帰省していた。今日は帰京する長男を皆で見送りに来ている。長女の孫達が飛行機を見たいというので、空港のカフェーから駐機場を眺めている。
お寺で営まれた法要では、読経を聞きながら母の生涯に思いを巡らせていた。
まだ私達の子どもが小さい頃、盆正月には一人住まいの母の家に集まり、賑やかな一時を過ごした。義理の両親の所 . . . 本文を読む