今月は二週続けて病院通いだった。だいぶ前から経過観察とやらで定期的に幾つかの診療科目に通っている。この歳になれば普通なのかもしれないが、やれやれである。カレンダーに予定が入っているのは受診日だけというシルバー川柳があったような気がするが、私も似たようなものだ。それにレンタルビデオの返却日の書き込みが加わるくらい。
振り返れば子どものころから医者とは長い付き合いである。一番古い思い出は歯医者になる。帰りにアイスクリームを買ってあげるからと母親に連れていかれたのが最初で、いまも歯医者には世話になっている。中年を過ぎてからは医者通いの回数が増えた。高齢者でこれまで病院とは無縁で過ごしてきたという人は稀有なのではないだろうか。
作家の五木寛之は病院に行かないことで知られている。エッセイで大学入学時にレントゲンを撮って以来、ほとんど病院の世話にならずにきたと書いていた。71歳の時である。体調を崩すことはしょっちゅうだが、体の声を聴き、自分で工夫して養生し、やり過ごしてきたという。彼が若いころから生業をしてきた業界は不規則で夜型の生活というイメージがあるのだが。
彼の健康のヒントは旅にあるようだ。旅は僕の栄養源だと言う。彼が「千所千泊」を目標にしてきたのは、「知らない土地を歩き、知らない人々と出会い、知らないものを食べ、知らないものを見る」ということが「精神と肉体を活性化する」からだとも書いている。歩くことと精神的な刺激を受けることが健康で長生きする秘訣なのだろう。
その彼は91歳になったいまも健筆をふるっている。行きたいところへ行き、話したいことを話し、書きたいことを書いてきた彼は人生の達人なのかもしれない。
また彼は洗髪しない主義だった。昔読んだ週刊誌の対談では髪を洗わない理由と効用を説いていた。あのふさふさした髪は彼のトレードマークでもあった。その彼が少し前に出した本のなかで、さすがに近頃は髪の毛がボロボロ抜け落ちると書いていた。先日、新潮社の広報冊子を読んでいたら、頭を丸坊主にしたという。大学で仏教を学んだとはいえ、坊主頭の五木寛之は想像できない。
フリーフォトより
シャンプーリンス、一切使わず、枇杷湯で、ボディソープにて全身。
その後、粗塩で頭皮マッサージ。
これを朔日の行いとして、続けています。
働いての時は、介護関係でしたから医療は絶対。
ところが体調不良に・・・接種等。
仕事辞め、保険証返却し以後罹りません。
出不精が幸いして、清貧の暮らし異状なくです。
枇杷葉茶で身体を整え、自然の導き疑わず。
不調?天啓で訓えて貰うこと多く。
医療費ゼロ。
人間何時かは死ぬのです。
その覚悟を持てば、一日を大切に生きられます。
手術・投薬や定期健診、延命しても苦しみしか残りません。
私もいまは石鹸で洗っています。
普段の養生には心がけていますが、
病院と無縁にはならないようです。