この日の散歩は競輪場まで足をのばしました。道路の植樹帯では八重咲きのクチナシが咲いています。
楠の並木道の先が競輪場です。私は長い間、この道路は競輪場の進入路として作られたと思っていました。しかしこの通りの入り口には大きな石灯籠があり、途中の道にも灯籠が並んでいます。ここは参道なのです。でもこの先に神社があるわけではありません。
途中で参道を左に折れると、競輪場の入場門です。
この日は茨城県の取手競輪が中継されていました。スタンドには誰もいませんが、スタンド下のサービスセンターは場外車券を買う人で賑わっていました。トラックでは選手たちが練習をしています。女子選手もいました。
若い頃、先輩に連れられてここに来たことがあります。適当に買った車券が大当たりしました。ビギナーズラックに味をしめて何度か通いましたが、全部ハズレ。それ以来、競輪で遊んだことはありません。
競輪場の横には高さ17メートルの忠霊塔があります。昭和16年に建てられました。旧久留米師団関係の5千余柱が分骨されています。いまでも毎年5月8日に、ここで戦没者慰霊祭が執り行われています。
競輪場はもともとは陸軍墓地で、先ほどの楠並木は忠霊塔への参道でした。久留米は明治時代からの軍都で、この辺り一帯も陸軍省の土地の一部でした。
競輪場を出て旧軍の跡を訪ねます。久留米競輪場は正源寺公園の中にあり、スタジアムの外は鬱蒼とした林です。木漏れ日に光るアジサイの花。
放生池に架かる橋。この橋を渡って忠霊塔へ行きます。親柱には「陸軍橋」の銘があります。昭和17年竣工。
野外講堂。草木が繁茂していて、僅かにステージの壁が見えるだけです。
下の写真は、久留米市のホームページから引用しました。野外講堂の全容です。半円形の、当時としては洒落た設計です。石橋文化センターが開園した当初は、園内に似たような野外音楽堂がありました。
小高い所に煉瓦造りの塔がありました。遥拝台です。中に螺旋階段があり、屋上には「宮城遥拝」と刻まれた標柱があります。
近づくと随分大きな建造物で、高さは5メートル弱、裾広がりの底部は直径が6メートルほどもあります。いまは林に囲まれていますが、昔は見晴らしが良かったのでしょう。野外講堂も遥拝台もどんな時に使用したのかと、思わず想像をめぐらしてしまいます。
これは第1次世界大戦の記憶です。日本は中国青島を攻略し、多くのドイツ兵を捕虜にしました。国内各地に俘虜収容所が設けられましたが、久留米でも5年余りにわたって約1,300名が過ごしました。収容所で亡くなった11名のドイツ兵の慰霊碑です。
サイクルファミリーパーク。子ども向けの変わり種自転車があります。競輪場の関連施設です。
ヒメジョオンと蝶。
ここは競輪場から少し離れた「名入の溜池」です。むかし水源地だった所で、いまは小公園になっています。写真では分かりづらいですが、アジサイの向こうで水が落ちています。ここが公園化されたのは十数年前です。大昔の合併時の約束事だと聞いたことがあります。そうだとすれば気の長い話です。
競輪事業はいまは斜陽で、市の財政上も小さくなっています。しかし昭和24年に始まった競輪からの収益は、久留米市の戦後復興に大きな役割を果たしました。
写真は晴れた日の方が写り映えするようです。
糸島あたりはいま元気があるようですね。