何ちゅうか、自分の子供が道場にいる時って、正味、
子供の為、誰かの為
に畳に上がってたわけで、で、今となれば、
誰かの為、自分の為
に上がってるわけなんです。
これって、似たようなことをしていても、全く違う。
やっぱり我が子が道場にいると、必死だし、冷静さも失うし、幾ら綺麗事を言ったり、あえて見ていないなんてことを言ったとしても間違いなく親目線はあった。
(たまに全く見ないという人の話も聞いたりするけど、そこは考え方の違いでしょう。)
で、親目線の指導を歩んで来て、良かったこと、失敗したことが山程あって、やっぱり失敗させたくない気持ちから言ってしまうこともあるんですが、自分のことを棚に上げておいて物を言うのは何とも言い難いし、自己嫌悪にも陥る。
子供に熱くなり過ぎるな?
いやいや、熱くなるよ〜!
って話ですからね。
自分も言われて面白くなかったこともあるし、ステージが変わった途端、手のひら返しで親を害悪扱いはできない。
ただ、間違いなく、子供の人生は親にかかっている。
良いも、悪いも。
いつの時代も、練習がどう、環境がどうとか言われる方もいますが、一番近い関係性の人間に影響され、我々外野が何をしようとも親には勝てない。
だから、親子で考え、悩み、ともに成長して行く為、時には助言し、時には壁、目の敵になるぐらいの配役。
痛い目を見たり、失敗しなきゃ分からないこともある。
遠回りしたからこそ得るものもある。
かと言って、わざわざ通らなくてもいい道もある。
だから本当に難しい。
ここに孫の時代となると、もっと難しいんだろな。