稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

鼻の病気「後鼻漏」について(その1)

2020年01月13日 | つれづれ

(画像はDRUGユタカのサイトよりお借りしました)

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物心ついた時から鼻が悪く、
小さな頃はセーターの袖を鼻でテカテカにしていた記憶がある。

鼻はだいたい詰まっているので口で呼吸をする。
口で呼吸をするのでいつも口を開けている事が多く当然アホに見える。
小学校の時に担任の先生に「粕井くん、口を閉じなさい」と度々叱られた。
口を閉じたら息がほとんど出来ない。詰まった鼻で息をするほど苦しいものは無い。
強盗に襲われて口をテープで覆われたら確実に死んでしまうと確信していた。

いつも、ぽか~と口を開けてるか洟(はな)をたらしているかで皆から馬鹿だと思われていた。
小学校3年に、母親はこの担任に「粕井くんは頭の線が一本切れてますね」と言われたそうだ。
ティシュなどはまだ無い時代。ポケットにはいつも大量の鼻紙を持っていた。

小学校の頃はよく兄弟喧嘩をした。
兄弟げんかは一方的に殴られたり押さえつけられたりした。
豪快に殴りつけてくるのは長兄。馬乗りで押さえつけ上から顔にツバを落とす陰湿なのは次兄。
いずれにしても小さな頃は毎日のように喧嘩をした。きっと生意気な弟だったのだろう。

泣き出すと、涙と一緒に驚くほどの鼻が出る。
鼻が出ると「誠、鼻が通ったなあ」とお袋が喜んだのを憶えている。
確かに、泣きながらも「鼻が通ってるやん」と少し嬉しく思ったことも何度かあった。

余談だが、自分のほうが強くなったと感じた頃から喧嘩はしなくなった。

高校だか大学だか、彼女が出来て一緒に映画を観に行ったことがある。
映画の題名は忘れたが、映画の途中で彼女から「粕井くん、息がうるさいよ」と言われた。
最初、何のことかわからなかったが、私の口呼吸+鼻息がうるさいのだと気づいた。
気づいたがこれは生まれつきで直しようが無い。呼吸に意識が行くと映画どころではない。
気まずい思いで映画館を出た。楽しいデートでは無かった。

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そんなわけで、耳鼻咽喉科は小さな頃からお世話になっていた。
小さな頃は「鼻カタル」と言われた。鼻カタルとはいわゆる「鼻水」のことである。
鼻水を吸い取って薬を噴霧して脱脂綿が先に付いた金属の棒で薬を塗っておしまい。
そんなことで治るわけもない。

「アレルギー性鼻炎」という言葉は無かったが、アレルギーという言葉はあった。
小学生の頃、「トラ」という野良のメス猫が家に居着いて可愛がっていた。
猫がアレルギーの原因と考えたのか「お前の身体のために猫は捨てる」と言い聞かされた。
深夜に母親が「トラ」をどこかに捨てに行き、翌朝、私は布団の中で泣きじゃくった。
アレルギーが心底憎く辛く悲しかった。

中学か高校の頃、鼻中隔弯曲症とも言われた。鼻の隔壁が曲っているらしい。
これが曲っていると鼻が詰まりやすく蓄膿になりやすいと言われた。
鼻茸(はなたけ)もあるとも言われた。
自分の頭の中にキノコが生えてきているのだと想像して怖かった。
手術が必要になるかもと言われたが、その後の医者に手術を勧められたことは無い。

鼻風邪を引くと青っ洟が出て「蓄膿」と言われた。副鼻腔炎のことである。
鼻の奥の目に近いあたりに大きな空洞がある。そこが副鼻腔でここが炎症を起こす。
炎症を起こすと鼻汁は黄色くなり、悪化すると熱が出た。


(画像はDRUGユタカのサイトよりお借りしました)

小学校5年の夏、白浜でクラゲに刺されたことが原因でアレルギー性皮膚炎が始まった。
刺されたのは一箇所だが、全身に湿疹が広がり10年間ほど苦しんだ。
これは本当に困った。鼻どころでは無い。かゆくてたまらない。

何度か京都の北区にある有名な皮膚専門の医者まで母親に連れていってもらった。
自宅から電車、市電をを乗り継いで2時間はかかった。処方されたのは漢方の塗り薬。
薬を塗って上から小さく切ったビニールを貼りテープで止める。
手足全部で10箇所ほどだが毎晩のことで大変だった。

大学になって千葉に下宿し、帰省するごとに京都の医者まで行った。
医者も代が変わり、漢方薬ではなく薬局でも買える「フルコートF」という塗り薬に変わった。
京都まで2時間もかけていく必要も無くなり近くの薬局で自分の小遣いで買いはじめた。

鼻のほうも相変わらずで、薬局で鼻療(びりょう)という漢方薬を買って飲んでいた。
自分のこづかいで薬を買っていたのにはわけがある。
自分はダメな人間だし、自分の病気で親に負担をかけてはいけないと考えていたのだ。

鼻の漢方薬と皮膚病の塗り薬で年玉を溜めた金や月々の小遣いは薬代でかなり使った。
親からすれば大した金額でも無いのだが薬代は親には出してもらわなかった。
今から思えば何故出してもらわなかったのだろうと思うが、
長引いた病気は、劣等感を土台にして妙な片意地をはらせていたのだと思う。
自分の劣る部分はたくさんある。それ以上の欠点を親に言えなかったのだ。

社会人になると体質が変わるのか鼻も湿疹も症状は出なくなった。
湿疹は完全に治ったが鼻は時々悪化する。悪化するが医者に行くほどでは無くなった。

長くなったので(その2)に続く
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