稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№112(昭和63年元旦)

2020年05月03日 | 長井長正範士の遺文


さてこの露のように、無から有に、有から無に、大自然そのままにくりかえしている。俺は剣道でいう静中動あり、動中静あり、ということを道場で人形相手に日夜創意工夫して大宇宙の眞理に溶け込む自分の剣道=心を求めんがため苦しみに苦しみを重ねて修行しているんだよ。俺はこうして剣道を自分で作りあげていってるんだ。剣道家の大切なのは自分で自分を苦しめることだ。敢えていう。岩の間に浸みこんだ水が、つゆの雫となってポタンと落ちるまでの苦労は一生かかっても判らん。と話され、次の唄を詠まれた。

「枯れすすき、昔思えば野原のすすき、露と遊んだこともある」

これは端唄の一節にあるそうです。それを受けて、うたいで次のようにうたった。
「露はすすきと寝たという、すすきは露と寝ぬという、寝たか寝ぬのか、すすきは露を宿しけり」
「炭俵、昔は露を宿しけり」と最後に都都逸のひとくだりでしめくくった。

以上を要約すると、今はすっかり老いぼれて枯れ果てたすすき(かや)ではあるが、こんな枯れすすきでも昔の若い時代は露と浮き名をやつした(朝つゆを穂にうかべた)こともあると、しゃれた唄いいかたをした。これを受けて謡曲の一節で露(うら若き女性)はすすきと同衾したという(穂につゆがたまったから、そういうた)然しすすきは露と寝たことはない、と言いはるが、果してどうか?寝たか寝なかったのか、よくよく見るとすきはつゆを宿したわい。(孕む)やっぱり露のいうことが本当であったという意味でこれをうけた都都逸の一節で、今迄若い時から浮名をやつし露と遊んだ時代もいつしか過ぎ去って枯れすすきとなり、老後最後のお役に立つため刈りとられ炭俵として使われ、中の炭も使い果て、俵だけ残ったが、はかなくもこの俵も最後に焼かれてしまって灰になった。こんな炭俵でも露を宿したこともある。嗚呼人生のはかなさよと言わんばかりである。以上の唄は露とすすき(かや)とのかかわりを静中の動をうまく粋な唄で表現しているではありませんか。

〇そして先生は私に次の色紙を下さったのです。風雅な山里の一軒家に春の花がほころびかけている風景を下に画かれ、その上に書かれている字は何んとも言えぬ風流な字で、長閑な山里の風景に溶け込んでおります。

世逃獨座聖和里
東風花綻春再廻
閉門尋日思剣心
剣即心而心剣也
思量今知天地心
八十五爺 誠宏印

意解。俗世間と離れて山里の聖和道場に住まいしている。東=春風が吹いてきて花もつぼみをほころばせて咲き始めて再び春がやってきた。自分は門を閉ざして(閉じこもって)剣の心をさがし求めているが、この時期になって、ようやく剣は即ち心であり、心は剣であるということを思いはかって、今天地即ち大宇宙の森羅万象のすべてが心であるということを知ることが出来た。と書かれたのです。八十五才にして悟られた偉大なる先生に仕えた私は幸せ者よと感激して辞した。終り

※吉田先生の関防印は「智仁勇」です
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