稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№119(昭和63年1月20日)

2020年05月31日 | 長井長正範士の遺文


〇吉田誠宏先生の五倫五常の道の補足
このことにつきましては既に№9、10、16、22の所で述べましたが、ある日、先生が五の数字の大切さを話されたことがありましたので書きとめておきます。以下、先生のお話を思い出し乍ら私なりにまとめました。

『明治村の大会に特別に会長(当時は石田和外先生)からご招待を頂いたので、お言葉に甘えて明治村へ行ったんだ。その時、会長と親しく談合したんだが、さすが会長、は古流の形を極められただけあって、剣道に対するご立派な理念をお持ちの方であると敬服した。その前会長が「五倫五常の声を聞かして頂きたい」と仰ったので、わたしは先ず五という字の大切さを簡単にお話をした。会長には釋迦に説法だが話の順序として、とことわって、先ず人間の体を五体と言うでしょう。これは一般的には頭、両手、両足のことを言いますが又、頭、頚、胸、手、足とも解釈され、又、筋、脈、肉、骨、毛皮の称であるようですが、人間の指も五本、五弁(花びら)から結果するという大変意義深いものがあり、この他、五を使った言葉は五戒(五悪)、五韻五蘊等澤山あり、これはこれとして私共は五倫五常の道を学ぶため剣道を精進するのですから、剣道のかけ声も五行の声でなければならないと思うのです。

そこで今から五つの部位から声を出して見せますと言って、会長の眼の前で咽喉、胸、口、水月、下腹と五か所から発声してお見せした。(これに関連したものは冒頭の№に在り)会長は早速実行鍛錬され、そのご熱意に尚更頭が下がったよ、帰りに名古屋の駅までと、会長がわざわざタクシーを呼んで下され、自らドアーを開けた前まで進まれ「ほんの些少乍らお車代に」と言われ、包みをわたしに下され、丁重に車を見送って頂いたのだ。このよろこびは何ものにもかえ難い。ただ単に一個人のわたしを重んじるということで無しに剣の眞の道、誠の道を重んじておられる石田会長は偉大なるお方であると感銘を新たにしたよ』

以上が大体の吉田先生のお話でありました。

尚、これも重複しますが、口からの発声は口の中に僅かにある空気をはき出す所謂含み息で“フワッ!”と出る一瞬の声にはならない打ち(主として体捌きによる出頭の甲手を打った時→むしろ押さえた時と言った方が判りやすいと思いますが・・・)これは余程鍛錬しないと出来ませんです。吉田先生はこれをやって見せてくれました。そして、これには含みのある人間、包容力のある人間につながるんだから剣道もここまでいかんとな!と仰ってました。

次に五行の声で胸から発声される時、私に判るように(正面を打つ時は水月=みぞおちからということは私も実行し、みぞおち=心から発声し相手の面を打ち=相手の心を打つことは一刀流の切落しの精神でということはある程度理解出来ますが)切り返しをやって、メンメンと発声して見せられたので大変勉強になりました。即ち同じ面でも攻めて、攻めて相手の面を打つ時は胸(勿論左右の面の連続打ちはそうである)の方から発声し、相手の起り頭の面を打つ(乗り面と申しましょうか、一刀流の切落しからくる、一見合打ちであるかのように見えますが相手の面打ちの起りが確かに当方より早いのですが、われはその太刀のまだ上におおいかぶさる=上太刀(うわたち)という。=精神と技で打ちに出るものですから合打ちに見えますが、こちらの太刀が相手の太刀を無効となし、わが太刀が生きて、逆に相手の面を打つのです。この時、水月からの乗り面が出るのです。
この項一応終ります。
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