稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

奈良県生駒市上町、夫婦塚(御炊屋姫の塚)

2020年05月30日 | 旅行や街角メモリー
中学でも高校でも歴史の授業は大嫌いでノートや教科書に落書きばかりしていた。
名前や地名や年号の暗記ばかりでつまらなかったのだ。
日本の教育は間違っていると思う。
受験勉強のためなのか歴史に対する興味を削ぐことばかりしているように思う。
丸暗記など必要も無くなった今になって自分が歴史好きなことに気づいたのだ。

さておき、この年になって、地元の地名の「登美」という名前から、
神武天皇の金鵄(きんし)に始まり、ご近所の史跡巡りをするようになった。
古代のことなど永い間興味は無かったが、少し興味が出てきて気楽に調べるようになった。

参考「地名探索・・登美、富雄、登彌、鳥見」
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20200512/

参考「地名探索・・登美、富雄、登彌、鳥見(続き)」
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20200513/

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自宅の近く、富雄川の川筋、生駒市上町にミカシキヤヒメ(御炊屋姫)の塚がある。
生駒市と言っても、奈良市二名との境目近くにある。
漢字は読むのも書くのも大変なので、下の3人はカタカナで書いてみる。
まずはこの3人の立ち位置を知らねば始まらない。

ミカシキヤヒメ(ナガスネヒコの妹でニギハヤヒの妻)
『古事記』では登美夜毘売(とみやびめ)、『日本書紀』では三炊屋媛、鳥見屋媛、長髄媛(ながすねびめ)と記する。
また御炊屋姫、櫛玉姫命、櫛玉比女命、櫛玉比売命などとも表記される。

ニギハヤヒ(神武とは別系統の神、物部氏の祖先)
『古事記』では邇藝速日命、『日本書紀』では饒速日命、『先代旧事本紀』では饒速日命の名称以外に、
別名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)、
天火明命(あまのほのあかりのみこと)、天照國照彦天火明尊、胆杵磯丹杵穂命(いきしにぎほのみこと)と表記される。
他の別名として、天照御魂神(あまてるみたまのかみ)、天照皇御魂大神(あまてらすすめみたまのおおかみ)、
櫛玉命(くしたまのみこと)、櫛玉神饒速日命(くしたまのかみにぎはやひのみこと)がある。

ナガスネヒコ(ニギハヤヒの家来でミカシキヤヒメの兄)
『古事記』では那賀須泥毘古、また登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)、登美毘古(トミビコ)とも表記される。
神武東征の場面で、大和地方で東征に抵抗した豪族の長として描かれている人物。

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ニギハヤヒは天照大神から分かれた神武天皇とは別系統にあたる。、のちの物部氏の先祖になる。
ニギハヤヒは神武天皇より先に天磐船に乗って大和に天降り、長髄彦(ナガスネヒコ)の妹三炊屋媛と結婚して可美真手命を生んだ。
ナガスネヒコはニギハヤヒに忠誠を尽くそうとしたが、ニギハヤヒは神武に帰順して、邪魔になったナガスネヒコを殺した。

ともかく自宅の近くで、
はるか昔の縄文時代に、神武天皇とナガスネヒコが対峙していたというのが面白い。
それが今も地名となって残っているというのがまたスゴイ。

で、生駒市上町、夫婦塚(御炊屋姫の塚)だが、
田んぼの畦道にポツンとある夫婦塚は、有名でも何でもなく、
おそらく地元の有志の者が建てたのだろうが、その謂れ(いわれ)もはっきりしない。

本当は先にニギハヤヒの墳墓に行くべきなのだが、
出勤の途中に寄るのは時間が無く今回は、夫婦塚のみのご紹介。


(上町高樋バス停、右奥の森は神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑のある場所)


(googole map に赤丸で示した、水色の表記2つがバス停)


(田んぼの畦道を歩いていく)


(上の赤線の始点)(ここから赤線の折れ曲がる地点まで170歩だった)


(夫婦塚、御炊屋姫の塚とされる)

実物は「夫媍塚」である。調べてみると女編に負と書く媍の字は「よめ」と読むらしい。
「負」は、意味ではなく音をあらわし同音の「婦」と同義の字であるという。
グーグルマップに登録を依頼したので、いずれ地図上で表記されるかも知れない。

以下は自分の勉強用である。
合っているかどうかは知らないが、位置関係がわかりやすかったので。



古代皇統の系図(天照大神を中心とした系図より)
https://rokuzigenkai.com/genealogy/

コメント
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