稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№129(昭和63年3月8日)

2020年08月26日 | 長井長正範士の遺文


〇私は剣道関係の書籍類は別として、古書を紐解いたり、日本の近代史を勉強するのに必要なディクショナリー(字引く書也)=辞書を、すぐ手の届く棚において常時私の師としています。これは皆さんと同じと思いますが、一応主だった辞書を挙げますと、

1)新英和大辞典 昭和2年 研究社発行 岡倉由三郎先生主幹(昭和3年春、奈良県立畝傍中学入学時購入。定価6円5拾銭也)
2)漢和大辞典 昭和14年 博文館増補版。定価参円八拾銭。
3)廣辞苑 昭和30年 岩波書店 2300円。
4)古語辞典 昭和40年発行 800円也。
5)現代用語の基礎知識 昭和57年 自由国民社発行。別冊付録共 1900円也(大変安価)

以上、五冊を中心とし、その他、一寸忘れた字など手近かに索引するため、之等辞典のコンサイス形式の中、小辞書や、世界新語辞典。暮しの中の外国語を始めとして毛筆辞典。変体仮名帳。五体字類 昭和52年、東京、西東書房発行、定価参阡円也。〇私のコマーシャル・・・お持ちのない方はお求めお薦めします。ためになる。他に書画骨董書、哲学、四書五経、文庫等で書斎をにぎわしております。ただ惜しむらくは、国士館時代(昭和8年-12年)に神田の古本屋をあさって、(当時余り読みもしないのに)貴重と思われる和漢書の数々を買い求めて持っておりましたが、敗戦後、生活の資に一部高価に売れることをよいことに、売却したり、知人に貸してやった本など、戦災に会い、今は大半なくしてしまったことを残念に思っております。折りにふれては、古本屋を廻り、たまに思わくの本がありますと鬼の首をとったようなよろこびです。でも前後売った値よりも何十倍もする高価に二度びっくりです。今にして思えば馬鹿なことをしたと悔やまれてなりません。然しお金にかかわらず、これからも昔の本を何とかして、とりかえしたいと思っております。以上、私ごとのことを申し上げて恐縮でした。又、文の本論に入ってゆきたいと思います。

〇国士館時代、私の尊敬する漢学者、松本洪教授が、いつか授業時間に次のような興味あるお話をされました。(以下先生のお言葉・・)
皇居の土手に立札が立っていた。よく見ると“この土手に登る可からず”と書いてあるので、わたしは早速下駄を脱いで、その土手をよじ登っていこうとしたらところ、皇宮警察官が見つけて、「コレコレ!貴様何者だ、そこの立札に何んと書いてある?読んでみろ」と、えらい見幕で怒鳴ったので、わたしはハイハイと言って、立札の字を読んで、警官に『わたしは漢学者の松本という者だが、今読んだ通り、この土手に登る可からず。ということだから、わたしは、この土手に登ることは出来ない、可能でないと解釈をして、登れるか、登れないか、一度試してみようと思って登りかけたんだよ』と言うと、その警察官が「何ッ!屁理屈言うとる。そうではないんだ、この土手を登ってはいけない、と書いてあるではないか!」と言うので、わたしはおもむろに『なるほど、貴方が仰る通り、わが国では、可からずは、べきでない→いけないと解釈しているから、みんなそう思っているし、又それが常識として通用しているが、本来の意味は、わたしが解釈した通り、可=可能=出来る、が漢字の真意なので、貴方がいけないと言われるなら、もっとはっきり禁ずと書くべきです。これはわたしの名刺です。早速上司に伝え、善処して下さい。』と言ってそこをひきあげた。警備の者は唖然として私を見送った。その後、立札は全部“禁ず”に書きかえられたそうです。それ以来、またたくうちに“可からず”を“禁ず”又は“禁止する”というようになった。と、こんな話を聞きました。一寸面白い話なので、今尚頭の中に残っています。以上
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