地元の地名の「登美」という名前からの探索の続き。
投稿が断続的になるのは、通勤の行きと帰りに探索するから。
きょうは鵄山バス停の写真を撮って、次の機会に鵄山を探そう・・みたいなことをしている。
(奈良交通「鵄山バス停」・これは富雄川西岸の北行き・左のほうにお寺の屋根らしきものを発見)
ここから北西のほうを見るとお寺(六角堂)のようなものが見えた。
「こんなとこにお寺あったっけ?」と行ってみたら違っていた。
(日本伝統瓦保存研究所という看板があった)
周辺を探るが、鵄山(トビヤマ)はここでは無いようだ。
対岸(東側)のバス停近くに高山郵便局がある。
その横の旧道の脇に「鵄山 従是東二丁」の石碑がある。
つまり「トビ山は、これより東に二丁(200mちょい)です」という石碑である。
で、また別の日に、帰宅前に寄ってみた。
時刻は19時で、日は沈み、そろそろ暗くなるころである。
パワー生駒店の駐車場にバイクを停め、石碑から100m東の小さな山を目指す。
これが鵄山なら、鵄山は周囲から20mか30mほどの小高い丘ということになる。
田んぼの畦道を登って行ったら小道があったので進んでみた。
くもの巣をかき分け、道なりに進んで登ったら「金鵄発祥之処」の石碑があった。
(鵄山の「金鵄発祥之処」の石碑)
ここが神武天皇(磐余彦・いわれびこ)の陣地だったのだろうか?
とすると、白庭の長髄彦の陣地との対峙など想像するとまた面白い。
(生駒市高山の鵄山周辺)
石碑へは、コメリ パワー生駒店(奈良県生駒市高山町7744番地)を目安にすれば良い。
これは余談だが、コメリ パワー生駒店の中にあるマルエスペット店の社長も、
高山と言えば、かきもちで有名な高山製菓の社長も生駒高校の同級生である。
(石碑から推測して登っていった道)
(あとから考えたらこちらの方が数倍楽である)
参考「地名探索・・登美、富雄、登彌、鳥見」
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20200512/
参考「地名探索・・登美、富雄、登彌、鳥見(続き)」
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20200513/
投稿が断続的になるのは、通勤の行きと帰りに探索するから。
きょうは鵄山バス停の写真を撮って、次の機会に鵄山を探そう・・みたいなことをしている。
(奈良交通「鵄山バス停」・これは富雄川西岸の北行き・左のほうにお寺の屋根らしきものを発見)
ここから北西のほうを見るとお寺(六角堂)のようなものが見えた。
「こんなとこにお寺あったっけ?」と行ってみたら違っていた。
(日本伝統瓦保存研究所という看板があった)
周辺を探るが、鵄山(トビヤマ)はここでは無いようだ。
対岸(東側)のバス停近くに高山郵便局がある。
その横の旧道の脇に「鵄山 従是東二丁」の石碑がある。
つまり「トビ山は、これより東に二丁(200mちょい)です」という石碑である。
で、また別の日に、帰宅前に寄ってみた。
時刻は19時で、日は沈み、そろそろ暗くなるころである。
パワー生駒店の駐車場にバイクを停め、石碑から100m東の小さな山を目指す。
これが鵄山なら、鵄山は周囲から20mか30mほどの小高い丘ということになる。
田んぼの畦道を登って行ったら小道があったので進んでみた。
くもの巣をかき分け、道なりに進んで登ったら「金鵄発祥之処」の石碑があった。
(鵄山の「金鵄発祥之処」の石碑)
ここが神武天皇(磐余彦・いわれびこ)の陣地だったのだろうか?
とすると、白庭の長髄彦の陣地との対峙など想像するとまた面白い。
(生駒市高山の鵄山周辺)
石碑へは、コメリ パワー生駒店(奈良県生駒市高山町7744番地)を目安にすれば良い。
これは余談だが、コメリ パワー生駒店の中にあるマルエスペット店の社長も、
高山と言えば、かきもちで有名な高山製菓の社長も生駒高校の同級生である。
(石碑から推測して登っていった道)
(あとから考えたらこちらの方が数倍楽である)
参考「地名探索・・登美、富雄、登彌、鳥見」
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20200512/
参考「地名探索・・登美、富雄、登彌、鳥見(続き)」
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20200513/
私も登美、富雄や鵄邑から神武天皇、長髄彦にたどり着いて町名を辿って町ぶらをコロナ禍からしていたので大変共感して読ましてもらいました。知っているかもしれませんが、富雄川沿いにある霊山寺に行った際、登美山とあったので以下記載します。知っていたらすいません。ブログ楽しみにしています。
霊山寺の所在する富雄の里は、古事記には「登美」であり、日本書紀では「鳥見」の地となっています。
敏達天皇の頃より、この地方は小野家の領有でした。右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関与したため、弘文元年(672)官を辞し、登美山に閑居しました。天武12年(684)4月5日より21日間熊野本宮に参籠。この間に薬師如来を感得され、登美山に薬草湯屋を建て、薬師三尊仏を祀って諸人の病を治されました。そして富人は鼻高仙人と称され尊崇されたのです。
霊山寺の記載、ありがとうございます。
霊山寺は有料ですが、それなりに価値のある厳かな雰囲気が良いですね。
奈良は歴史が豊富で面白いです。
はるか太古の昔を想像しながら見て回ってます。