真っすぐ職場に向わずに、バイクだと寄り道していくことがある。
この日はいつも横を通るがお参りしたことの無い「磐船神社」に寄った。
登美(鵄・トビ)の探索の延長で饒速日命(ニギハヤヒノミコト)への興味が出たわけだ。
いつもは、ならやま通りを西に進み、南田原の出店で国道168号を越えて真っすぐ阪奈道路に向かう。
時々、国道168号を北上して、北田原大橋で左折して国道163号を西に向かう。
たま~にバイクで、西に向かわず国道168号を北上して交野に向って遠回りする。
2キロも北に走ると橋を渡る旧道があり、旧道沿いに磐船神社がある。
(駐車場はもっと手前にあるのだがバイクなので前に停めた)
(磐船明神社の石柱)
(「本社祭神 天孫饒速日尊命」の石碑)
天孫とは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫のことを言う。
この孫には神武天皇の祖父である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が有名であるが、
饒速日尊命(にぎはやひのみこと)も瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の兄弟であるから天孫なのである。
(御神体の舟形巨岩を望む)
(社務所に言えば白装束を来て岩窟拝観が出来るそうな)
(岩窟を上からのぞき込む)
(舟形巨岩)
(同じく)
(磐船明神社の石柱)
(天野川河川トンネルと神社の幟)
(天野川河川トンネル)
天野川河川トンネルは、1997年(平成2年)11月に完成したそうで、
それまでは磐船神社のすぐ脇を流れていた急流難所であったと言う。
通勤途中にちょこっと寄ったミニトリップ。
しかし苔むした神社は趣きがあり霊気を感じてとても良かった。
いわゆるパワースポットというものかも知れない。
天孫、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)探索はまだまだ続くのである。
【参考】
概要(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より)
磐船神社(大阪府交野市私市9丁目19−1)
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交野市の南端、天野川の渓谷沿いにあり、「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる天野川を跨ぐように横たわる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩を御神体としている。 本殿はなく、巨岩の前に小さな拝殿があり、南側(上流)に社務所がある。
神社の起源は不明であるが、天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと = 饒速日命)が天の磐船に乗って河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨されたとの伝承が先代旧事本紀にもある。 交野に勢力を保っていた肩野物部氏という物部氏傍系一族の氏神であり、一族が深く関わっていたといわれている。 中世以降は、山岳信仰や住吉信仰の影響を受け、現在も境内には垂迹神の住吉大神の四体が連なる本地仏の石仏や不動明王石仏を初め神仏習合の影響が色濃く残されている。
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この日はいつも横を通るがお参りしたことの無い「磐船神社」に寄った。
登美(鵄・トビ)の探索の延長で饒速日命(ニギハヤヒノミコト)への興味が出たわけだ。
いつもは、ならやま通りを西に進み、南田原の出店で国道168号を越えて真っすぐ阪奈道路に向かう。
時々、国道168号を北上して、北田原大橋で左折して国道163号を西に向かう。
たま~にバイクで、西に向かわず国道168号を北上して交野に向って遠回りする。
2キロも北に走ると橋を渡る旧道があり、旧道沿いに磐船神社がある。
(駐車場はもっと手前にあるのだがバイクなので前に停めた)
(磐船明神社の石柱)
(「本社祭神 天孫饒速日尊命」の石碑)
天孫とは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫のことを言う。
この孫には神武天皇の祖父である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が有名であるが、
饒速日尊命(にぎはやひのみこと)も瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の兄弟であるから天孫なのである。
(御神体の舟形巨岩を望む)
(社務所に言えば白装束を来て岩窟拝観が出来るそうな)
(岩窟を上からのぞき込む)
(舟形巨岩)
(同じく)
(磐船明神社の石柱)
(天野川河川トンネルと神社の幟)
(天野川河川トンネル)
天野川河川トンネルは、1997年(平成2年)11月に完成したそうで、
それまでは磐船神社のすぐ脇を流れていた急流難所であったと言う。
通勤途中にちょこっと寄ったミニトリップ。
しかし苔むした神社は趣きがあり霊気を感じてとても良かった。
いわゆるパワースポットというものかも知れない。
天孫、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)探索はまだまだ続くのである。
【参考】
概要(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より)
磐船神社(大阪府交野市私市9丁目19−1)
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交野市の南端、天野川の渓谷沿いにあり、「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる天野川を跨ぐように横たわる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩を御神体としている。 本殿はなく、巨岩の前に小さな拝殿があり、南側(上流)に社務所がある。
神社の起源は不明であるが、天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと = 饒速日命)が天の磐船に乗って河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨されたとの伝承が先代旧事本紀にもある。 交野に勢力を保っていた肩野物部氏という物部氏傍系一族の氏神であり、一族が深く関わっていたといわれている。 中世以降は、山岳信仰や住吉信仰の影響を受け、現在も境内には垂迹神の住吉大神の四体が連なる本地仏の石仏や不動明王石仏を初め神仏習合の影響が色濃く残されている。
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