稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

木曜会定例稽古(2019年9月19日)

2019年09月20日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)


四條畷市立四條畷西中学校の体育館。
20時過ぎから21時25分まで。今年31回目。参加人数20名ほど。
かなり涼しくなった。


(稽古はK山七段の号令による素振りから始まった)

本日は素振りのあとは座学中心。
最後は2人1組で礼法作法の稽古。

以下、気のついたところのみ記す。
(難剣への小手打ちのテクニックについては略す)

普段の稽古内容が本番で発揮出来ないことが多い。
正しい剣道のすべての大本は「構え」にある。

配力と重心とは違う。
重心は真ん中でも力の配分は左足が7で右足が3である。
打とうとする瞬間には重心はやや前になるが配力は左足が8で右足が2になる。

剣道は打った打たれたという結果を求めるスポーツでは無い。
剣道は経過技術を高め、その結果として有効打突を求めるものである。
構え、体捌き、竹刀の操作などの「技前」の部分を修練し、
その結果として相手の心を動かし有効打突に結びつけることが大切である。
経過技術がどうであれ相手の打突部位に当てりゃ良いというものでは無い。
昇段審査で「あんだけ当たったのに受からない」というのは、
まず構えが出来ていないし、当てに行く技術に長けているだけなのである。

審査をしていて、礼をして蹲踞して立ち上がって構えた瞬間に
「ああこれは駄目だな」と思うことは良くあることだ。

気を外して相手の崩れをフェイントで誘って打つ技術はあるが、
相手の正中線を取り合って攻め、機の動くところを打つ技術とは雲泥の差がある。
打たれて釈然としない打ちと「良いところを頂きました」という打ちは違う。

左足を軸とした三角矩の構え、体軸のブレない構えからの攻め入り。
生死の間合いで、それを自分からの能動的な攻めで乗り越えて打つ。
それがスイッチだが、スイッチの入れ方も間合と状況によって変わる。
相手の目を見ながら全体を観察し、いつでも打てる構えになっておく必要がある。
重心真ん中、配分が左足7右足3はいつでも動ける構え。(触刃まで)
重心やや前、配分が左足8右足2はいつでも打てる構え。(交刃から先)

打つべき機会の機は相手の心と身体と技が変化しようとする兆し。



左足は相手に対して真っ直ぐ。足幅一つ分空けて右足。左足爪先の位置に右足踵。
左足が横を向いているとどうしても右手に力の入った構えになってしまう。
一足一刀の間合いで左手親指の付け根が臍の前、剣先の向きは相手の左目の目頭。
結果、柄頭は木曜会の「会」の位置になる。
無理やり中心を取ろうとすると相手は守りに入ってしまう。



初太刀の返し胴はあまり評価されない。
中心を取るのには左手を使う。


(寸田と丹田を結ぶ線は垂直に)


(寸田と丹田を結ぶ線が前に傾いてはいけない)

竹刀はアンテナである。竹刀で相手を感じ取る。
感じ取るから後の先が可能になる。
感じ取るのは左手。(握り締めているわけでは無い)(小指は半掛け)

文字で勉強することも大事。
知っていることで位(くらい)も高まる。

左足の向き、左手の位置が構えの基本中の基本。
ここが出来ていないままで剣道の組み立ては出来ない。

礼法作法は普段の稽古で心がけること。
立ち間(遠間触刃の間)をしっかり意識すること。


(終了後も個人指導は続く)


【感想・反省点】

座学のみだが非常に勉強になった。
ここに来ると迷いが吹っ飛ぶのである。
反省点はいくつかある。自分の課題は難しいがはっきりした。

K山七段に聞かれたので下に記す。

【狐疑心(こぎしん)】
狐は疑い深く、猟師から逃げる時に途中で立ち止まり後ろを振り向く習性がある。
「本当に猟師が追ってきてるのかな?」と疑ってしまうのだが、
迷わず一目散に逃げれば助かるのに、立ち止ってしまって撃たれてしまうのだと言う。
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