杜甫は、この詩の最初に、三月三日の水辺に集う乙女たちの容姿に付いて、”淑且真 肌理細膩骨肉”などと説明してあります。が、次は、着飾っている服装の艶やかさや宝石の数々に付いて説明しているのです。それが
繍羅衣裳照暮春
<繍羅の衣裳 暮春を照らす>
薄絹で刺繍がしてあるあでやかな服装が春の暮れ方に照り輝いている。
蹙金孔雀銀麒麟 <蹙金の孔雀 銀の麒麟>
その刺繍の絵柄は金の細い糸のくじゃくと銀糸のきりんです。
頭上何所有 <頭上 何の有る所ぞ>
乙女たちの頭はどうなっているのかと見れば
翠為姶葉垂鬢唇 <翠は姶葉と為りて鬢唇に垂る
カワセミの羽で出来た簪は耳脇にまで懸かっている。
背後何所見 <背後 何の見る所ぞ>
身につけている宝石類はと後ろを見れば。
珠壓腰衱穩稱身 <珠は腰衱<ヨウキュウ>を壓して 穩やかに身に稱ふ>
真珠の珠は着物の裾辺りまで垂れかかって何とも言えないような優雅さが漂っている。
この日の水辺に集う乙女たちの姿・かたちは、そこら辺りの自然の風景をも圧巻する感をいなめません。若い男たちの垂涎の的と成ることは間違いなしです。男女の出会いの場なのです。此の「上巳節」は。
この部分だけでも、いつも言うように声に出して読んでみてください。即座に、1200年の過去へ「ドラえもん」ではないのですが、誘ってくれるような気分が味わえます。
これが杜甫の詩です。唐の時代には、現代、見ただけでも、頭が真っ白けになるくらいの勝れた詩を作った杜甫や白居易など、どうして、こうも、このような詩人が五万と長期に渡って続出したのでしょうかね。現代でも、私が知らないだけで、優秀な詩人がおられるのでしょうか
なお、此処では“翠為姶葉垂鬢唇”と書き現わされておりますが、私の持つ「麗人行」では、写真のように「為姶」の部分が違っております。どちらが正しいのかは分かりません。