まず、その書き始めです。
車轔轔 馬蕭蕭 <車轔轔<リンリン> 馬蕭蕭<シュクショク>>
行人弓箭各在腰 <行人の弓箭 各々腰に在り>
耶嬢妻子走相送 <耶嬢<ヤジョウ> 妻子 走って相ひ送る>
行人は馬や車に乗っている人の後に続く歩いている兵士です。だから、車だけは元気いっぱいの<轔轔>なのです。
歩いて遠征する兵士たちの耶嬢(父母)や妻子は、何処までも その姿が見えなくなるまで、「相い送る」のです。その思いは如何??
その思いを存分に、この「走相送」の中に杜甫は歌い込んでおります。
折角のその人々の思いも
塵埃不見咸陽橋 <塵埃に見えず咸陽橋>
咸陽橋は長安城外に架かる橋です。ここを渡ると、もうそこは外地なのです。
都を離れてしまう最後の橋まで見送ってという人々の思いも、戦車やその馬々のたてる塵埃によっても遮られてしまいます。
塵埃にまでもその恨みが、そのもの言わぬ人々の声もが、この「七言」の中に見え隠れしております。