辺庭(辺境の地)は、派遣された兵士の流す血で海となっても、皇帝は、そのような出征兵士のことなど考えようもしないで、依然として、遠征を止めようとはしない。
“君不聞漢家山東二百州” <君 聞かずや 漢家 山東の二百州>
貴方は聞いたことがありませんか?漢王朝の治める山東の二百余州
ここにいたって七言から、詩形が、突然に、十言に変化します。
傍らの旅人が行人に聞くのですが、兵士は今の村々の現状を訴えるが如くに、妻や年老いたろう父母を思ってか、此処に来て、それまでより一段と恨みをこめて、声を高めて、訴えるように話して聞かせます。その兵士たちの変わりようを、詩の中に表現させるべく、杜甫は、突如として、「十言」に変化させて歌いあげております。それだけ言うと、また、兵士たちは、ゆっくりと、又、その恨み節を胸の奥からひねり出すように語り出します。それが
“千村万落生荊杞” <千村万落 荊杞、ケイキ>を生じるを
“縦有健婦把鋤犁” <縱(たと)ひ 健婦の 鋤犁(じょり)を把(と)る有りとも>
健婦とは、夫が遠征に従事して田畑を耕すことができなくなった婦人のことです。
“禾生隴畝無東西” <禾(いね)は 隴畝(ろうほ)に生じて 東西(とうざい) 無し>
隴畝(ろうほ)、畝やあぜ道にです。禾<イネ>は、普通は縦横に(東西に)きちんと整えられて植えられるのですが、健婦の植えた稲は、あぜ道にも生えていて、畝に、整然と、縦と横が揃っていなくて、西も東も無いような雑然とし植え方だと歌っています。