玄宗の役人たちは、若者を辺地に遠征させることを止めようとはしないどころか、その上、激しく声をかまびすしくして、租税も取り立てます。でも、その税を納めようにも、残こされた家族には、そんなものは何処にもありません。そのような状況の中で、古代から培われてきた中国社会の社会通念は、微塵にもぶち壊されて、全く新たな、次のような、全く新たな社会通念が生まれてくるのです。それを詩人は歌っております
信知生男惡 <信(まこと)に知る 男を生むは惡しく>
反是生女好 <反って是れ女を生むは好(よ)きを>
それまでの社会通念として、女性が男の子を生む事は「善」で、女の子を生むのは「賤」であるとされていたのですが、今の世では、反対で女の子を生んだ方か「善」で、男の子を生むのは「悪」だと言われるようになっていたのです。その理由として、行人の話だとして、杜甫は歌っています。それを、今までの詩形「五言」から、再び、変化して「七言」で。
生女猶得嫁比鄰 <女を生まば 猶ほ比鄰に嫁ぐを得ん>
生男埋沒隨百草 <男を生まば 埋沒して百草に隨はん>
と。
まことに、今の世は、男を産むのは割に合わない、かえって女を産んだほうがよい。女なら近所に嫁いで行くこともできるが、男は死んで雑草の茂みに倒れるだけだ。
どうして、此処に至って「五言」から「七言形式」に、再び、詩形を変えたのでしょうか???おそらく、杜甫は、この改行の変化で以って、その「結」を読む者をして、その最後に配置した「啾啾」をより深く訴えるための技巧をこらした演出だったのかもしれませんね。
此処までが、「転」だ、と、私は思うのですが??
此処まで読んで、彼のどの詩でもそうですが、その校生の巧みさに、自然と、「うまい」、と、杜甫の詩人として天分の偉大さを褒め称えたいような気分になるのは、私だけでしょうか??