“古來白骨無人收” <古來 白骨 人の收むる無く>
中国西域の戦場には、唐軍の兵士が戦いに敗れ、そのまま白骨になって転がっています。それを誰も収めるものがないといった惨状です。
“新鬼煩冤舊鬼哭” <新鬼は煩冤して 舊鬼は哭し>
近頃、此の地で戦死した者は「煩冤」、悶え苦しむ事です。どうして、このようなあわれな状態に自分が置かれなければならないのか、とです。その新しい戦死者の煩冤を聞き、今は昔、この地に無残にも転がされて、もう随分と時間が経ってしまった死者の白骨は「哭す」のみです。
何をすることなく、ただ、此処に転がられている自分のどうしようもない空しさを現わすように声なき声を挙げて泣叫ぶことしか出来ないのです。こんな私をどうしてくれるのだと恨み節が風に舞っているだけです。そして、その辺り一帯は
“天陰雨濕聲啾啾” <天陰り 雨濕して 聲啾啾たるを>
状態です。
「このような、今の我が国の国境地帯で繰り広げられている現実を皆さんはご存知ですか。」と、作者杜甫が「君不見」と問いかけている反戦詩なのです。なお、「啾啾」とは死者の泣き声の様子を表す言葉です。
皇帝玄宗が国務を省みず、奸臣が専横をふるうようになって、国政は乱れます。その乱れに乗じて周辺の民族が唐に反乱するようになります。雲南では南詔と戦って六万の兵が死だと言い伝えられております。更に、西域でも、北辺でも唐の軍は破れます。
こうした事態に、唐は国境を固めるべく、更に、多くの兵士を徴収して、ろくな訓練も受けないまま配置し、過酷な戦闘に立ち向かわせます。その結果は、詩にあるように、戦場はいっぱいの白骨が転がる惨状だったのです。
「声啾啾」で、この詩は終決しておりますが、何となく、何か杜甫が言葉をつづけてくれるのではないかと思えるような、少々後ろ髪惹かれる思いが読後になっても、まだ、頭の中に残像として残るような気分になるような詩です。