昨日書いたように吉備下道臣多狭の妻である「稚媛」について、「茂」「綽」と、その容姿を書紀には書いております。一体どのような女性であったのでしょうか???
まず、「茂」には<コマヤカ>とルビが符してあります。辞書には、「豊か」・「優れている」「立派で美しい」という意味があると書かれております。
また、「綽」は<サワヤカ>と読ましており、「しとやか」「しなやか」「たおやか」等の意味があるのです。
これからだと、一体、どのような美しい女性であろうか、はっきりとした姿が眼には浮かんできません。「茂」は、豊かで美しいのですからすから、蜾嬴(すがる)乙女ならぬ、豊満な肉体美の女性であろうということは想像できます。また、「綽」ですから、なよなよとしたしなやかな女性のイメージがします。それを踏まえて、さらに、「諸」ですから、諸々総てに渡って女性としての完全な美しい姿か備わっているというのです。
これが、当時の天下一の美女だというのです。大変な自信でしょう。その自信は、次なる言葉を似て、更に、彼女の美しさを言い表わしているのです。