私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「秦兵耐苦戦」

2016-03-04 16:45:14 | 日記

   男たちは辺境の地での戦いに参加するために招集され、その結果。村々は“禾生隴畝無東西”と荒れ果ててしまいます。その戦いも“耐苦戦”し“辺庭流血成海水”という状況です。その苦しさを行人は、杜甫に、続けて、次のように語りかけます。それが

    況復秦兵耐苦戰     <況んや 復た 秦兵の苦戰するを耐へたるおや>    
   被驅不異犬与鶏     <驅<カ>らるること 犬と鶏とに異ならず>
  「秦兵」と、ありますが、実際は、唐の天宝十年からの玄宗の時代の事です。この時、杜甫も、玄宗に仕える唐の官吏の一人でした。だから、敢て、「唐兵」という文字をこの詩に入れることを遠慮して、わざわざ、「秦」という字を入れたのです。また、“不異犬與鶏”とありますが、普通なら「馬や牛」という言葉が使われてもいいと思えるのですが、敢て、「犬・鶏」という字を使って、人間らしい扱いは皆無であったことを強調しているのです。牛・馬以下の、誠に憐れな、一文の値打もないような扱いを受けていたかということがこの言葉から想像できるのです。
 なお、此の歌を解釈する人の中には、「鶏?」とわざわざ書き現わしている本にも出会えるのです。でも、ここでは、杜甫は、平生、何時でも、食用に使われる「鶏」という言葉を、敢て、使うことによって、兵士の処遇の厳しさ、憐れさを歌いあげたかったのではと思っております。

 此処までが、この詩の「承」の部分です。ここまでが兵士の語る辺境の有様です。さて、ここで作者は、亦、詩の形式を一変させま、「七言」から「五言」に替えて、戦場に駆られた兵士の恨み節を並び立てます。それはまた明日にでも。