今年も、また、大げさに言うと、天も地も総てが平生と何も変わったことのない普通はなのですが、初春だと言うことだけで、気分だけがやたらと新しく、すがすかしい気持ちにしてくれます。それが新春なのだと当り前の事が当たり前でないかのように思われる正月です。まさに、世の中が、一瞬の内に、「ヨミガエル」ような気分爽快な「1月1日」新春です。
何も急に世の中がひっくり返って「ヨミガエ」ったわけではないのですが。もう八十回も、こんな不思議な気分にさせてくれるます。
さて、今日はこの「ヨミガエル」と言う言葉について少々考えてみたいと思います。「ヨミガエル」と云えば「蘇る」、「甦る」ですが、此の言葉の起源について考えてみます。
これは我がイザナギが黄泉の国から、多くの追手から逃れて、この顕国に立ち戻った時に、この言葉が生まれたのです。黄泉の国の比良坂を越えて、この世の中に立ち返った事に起源があるのです。即ち、「ヨミ」の国から立ち「カエル」。これが<ヨミガエル>です。これも本居宣長から拝借したのですが。
一度、この坂を越した者は、誰であろうと、二度と再び、この世の中には帰れないのですが、イザナギが最初で最後の人だったのです。それが、後の世になってから、今にも死にそうになった人が黄泉の国に入る直前に、比良坂を越える直前に、この世の中に立ち返った人に対して、イザナギのように「黄泉から帰った」と云ったのです。それが本当の「ヨミガエル」で、「蘇る」、「甦る」と云う字を後世の人が当てたのです。それが、再び新しくなった総ての事に通じる言葉となって、現在その起源などとは無関係に広く一般に使われているのす。
今、元日の朝の太陽は吉備の中山から顔を覗かせ、黄金の光を辺り一面に投げかけております。8時15分です
山の端に 初春の陽の よみがえり
息吸い込んで 今を思へり