大山津見神の詛によってでしょうか???それ以後の天皇のお命は短命に終わったのだと古事記には書かれてあります。
果たしてそうであったのでしょうか??初代の天皇である神武天皇の御年は127歳ですし、2代目の綏靖天皇でさへ、御年は84歳で、崩御されておられます。決して、短命ではないはずですがどうしたことでしょうかね???どうしても、大山津見神が予言した通りではないのではないでしょうか???
そこで、また、宣長先生の出番ということになりますが???
“そもそも上代の天皇達は、百歳に多く余らせ賜ふが、あまた坐しましけるは、人代にては、御壽長かりしけれど、神代の人の壽の、なほこよなく長かりし時を以て云えば、甚く短きなり。此の詛の後、日子穂穂出見命は、
「高千穂宮に五百八十歳に坐ます」
とあれども、これなほ不長<ナガカラザ>りしなり。”
と説明がしてあります。神代と人代とでは歳は違い、神代では百歳ぐらいは短命の部類に入るらしいのです。
だから、大山津見神の詛に
“御命不長也”
とあったのです。合点して頂けましたでしょうか????
果たしてそうであったのでしょうか??初代の天皇である神武天皇の御年は127歳ですし、2代目の綏靖天皇でさへ、御年は84歳で、崩御されておられます。決して、短命ではないはずですがどうしたことでしょうかね???どうしても、大山津見神が予言した通りではないのではないでしょうか???
そこで、また、宣長先生の出番ということになりますが???
“そもそも上代の天皇達は、百歳に多く余らせ賜ふが、あまた坐しましけるは、人代にては、御壽長かりしけれど、神代の人の壽の、なほこよなく長かりし時を以て云えば、甚く短きなり。此の詛の後、日子穂穂出見命は、
「高千穂宮に五百八十歳に坐ます」
とあれども、これなほ不長<ナガカラザ>りしなり。”
と説明がしてあります。神代と人代とでは歳は違い、神代では百歳ぐらいは短命の部類に入るらしいのです。
だから、大山津見神の詛に
“御命不長也”
とあったのです。合点して頂けましたでしょうか????