第4位の大きさの造山古墳は庚申山と黒住山とに挟まれた舌状台地に次のような段階を経て造られたと考えられます。
①辺りに生い茂る木の伐採(対象面積は26000㎡)
②前方部の前端の丘尾を削る堀割造り(全長230m、推定される土砂は2万㎥)
③古墳への盛土(後円部の高さは28mです、山地は12mで、その上部16mぐらいは周りの湿田からの土を。前方部は23mで山地が18mで、盛り上げた土砂は5m程度。この2つの盛土の総量はおよそ27万㎥)
④墳丘を覆う葺石の設置(そこから8kmも北にある場所で採集され、総量は200㎥)
これだけを考えても大変な労力がこの古墳の造るのに使われています。
この他、この古墳には、吉備地方からだけではなく、後円部で見つかった安山岩の「板石」は香川県から持ち込まれたのではないかと言われていますが(この板石は後円部にある竪穴式石槨の一部では???)他国との交流を物語っています。
他国との交流を物語るものとしてもう一つ、後円部にある石棺ですが、石材は阿蘇の凝灰岩ですから交易ルートも考えられます。(千足古墳石室の直弧文)
最終段階で備え付けられた埴輪について、各段位に備えつけられた総数は5100本程度ですが、吉備のどこの地で製造されたかまだはっきりとその場所が特定できてはいませんが、その土質から考えられる製造場所は高梁川の流す土砂の混じらない場所であることは分っているのですが・・・
このようにして作られた造山古墳は、葛原が言う「雄大にして厳然とした」その堂々たる威容を、再度、見てください。
①辺りに生い茂る木の伐採(対象面積は26000㎡)
②前方部の前端の丘尾を削る堀割造り(全長230m、推定される土砂は2万㎥)
③古墳への盛土(後円部の高さは28mです、山地は12mで、その上部16mぐらいは周りの湿田からの土を。前方部は23mで山地が18mで、盛り上げた土砂は5m程度。この2つの盛土の総量はおよそ27万㎥)
④墳丘を覆う葺石の設置(そこから8kmも北にある場所で採集され、総量は200㎥)
これだけを考えても大変な労力がこの古墳の造るのに使われています。
この他、この古墳には、吉備地方からだけではなく、後円部で見つかった安山岩の「板石」は香川県から持ち込まれたのではないかと言われていますが(この板石は後円部にある竪穴式石槨の一部では???)他国との交流を物語っています。
他国との交流を物語るものとしてもう一つ、後円部にある石棺ですが、石材は阿蘇の凝灰岩ですから交易ルートも考えられます。(千足古墳石室の直弧文)
最終段階で備え付けられた埴輪について、各段位に備えつけられた総数は5100本程度ですが、吉備のどこの地で製造されたかまだはっきりとその場所が特定できてはいませんが、その土質から考えられる製造場所は高梁川の流す土砂の混じらない場所であることは分っているのですが・・・
このようにして作られた造山古墳は、葛原が言う「雄大にして厳然とした」その堂々たる威容を、再度、見てください。