私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

任那での田狭は・・・・

2020-10-24 10:39:29 | 日記
 我が息子「弟君」が雄略の命令を聞かず、そのまま百済に数カ月も留まっていることを知った田狭は、「わが息子よ。」と使いを遣わし

 「お前は何を思って海を渡り百済まで、人の首を狙いにやって来たのか??もう少し自分の首のことを心配しろ。若し、このまま集めた才伎と一緒に雄略の所へ帰るものならば、忽ち、お前の首は吹っ飛んでしまうこと間違いないよ。このまま百済にいなさい。」

 と諭します。この父親の深いありがたい思慮を受けて「弟君」はその忠告に従うことにします。しかし、その時、弟君の妻に"楠媛<クスヒメ>”が一緒にいました。日本書紀には彼女について

      ”国家情深、君臣義節 忠踰白日、節冠青松、悪斯謀反”
     <オホヤケノココロフカク クンシンオコトワリ タシカナリ タダシキコト マヒヲコエ 
      マタキコト トコマツニスギタリ ミカドカタムケントスルヲ ヌクミテ>

 と説明しています。要するに、弟君の妻「楠媛」は「君主に対して忠誠心を尽くすのが臣下の務めで、いかなる理由があろうとも、それに違反することはしてはならない。」と思い。夫の行為に対して腹立ちて、ひと思いに殺害してしまったのです。

弟君の父「田狭」救援の作戦が・・・

2020-10-24 10:39:29 | 日記
 「雄略」は言います。
 「わが国に貢物をしない新羅を討て!!」
 と田狭と稚媛の子「弟君」と吉備海部直「赤尾」に命令して任那に派遣します。その時、雄略の下に
    "西漢才伎歓因知利<コウチノアヤノ テヒト カンインチリ>”(中国からの渡来技術者か)
 がいて、雄略に朝鮮や中国についての外交問題についての顧問をしていました。彼は進言します。
 「弟彦などを新羅に派遣するのもいいですが、その時、ついでに朝鮮(百済)にいる沢山の先進技術者を一緒に倭に連れておいでになったらいかがでしょうか。きっともっと強い国になりますよ。この倭の国が・・・」
 「それはもっとものことだ。では、その人選はお前に任せるから一緒に行ってこい!!」
 と「知利」も一緒に派遣します。
 その一行が百済に到着して、弟君は路傍にいた老女に尋ねます。
 「ここから百済までの道のりは・・」。すると、老女は、「まだまだです。もう1日ぐらいは十分かかります。」と。
 そんなにもまだかかるのかとあきらめて、弟君は新羅を討つのはやめてしまって、そこに駐留してしまいます。その間に「知利」が百済の才技(先進技術者)を集め、船待ちすることにかこつけて、そこに留まり月日を重ねます。一緒に派遣された「赤尾」は何をしていたのでしょうかね。書紀には記述がありません。「吉備海部直」ですから、もしかしたら「田狭」と、既に、通じていて、弟君と共に・・・・とも考えられるのですが????