私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

田狭事件を門脇氏は・・・・

2020-10-29 09:32:25 | 日記
 「稚媛」は上道臣「田狭」自慢の美人妻です。日本一の美人は己の妃にするのが当然とばかりに、邪魔者の夫である「田狭」を任那国司に任命して国外に永久追放します。そして、稚媛を我が物にせしめます。
 しかし、普通なら、いとも簡単に稚媛が雄略の下に来たなんて考えられませんがね??二人の息子もあったというのですから。そんなに簡単に雄略の妃になったのでしょうか。
 これについて、門脇氏は「吉備の古代史」で、次のように説明しておられますので紹介します。

 先の眉輪王の事件に関連して、雄略は自分が倭国の大王になるために、まず、葛城首長家の者(円大臣など)をこの時にすべて殺戮してしまいます。この時、葛城系の首長と婚姻関係などで深く結びついていたのが「吉備王国」です。だから、雄略は、どうにかして我が意にかからない「吉備国」を、この葛城首長家のように、その力を弱め、我が意に沿う国にしようと考えていたのです。それが、この「田狭事件」の物語を生んだのです。その融和策として取られたのが、人質としても吉備王国の媛の献上を求めたのです。
 その女性が田狭の妻という形で書紀に書かれたのですが、本当は、吉備国王の女性を雄略に人質として献上したのでしょう。しかし、それまで吉備では「雄略と、この際、決着をつけるべきだ。」「いや差し出すべきだ。」など多くの激論があったはずです。それが「田狭事件」として面白おかしく言い伝えられ書紀に記されたのです。