弟君がその妻「楠媛」によって殺害されますが、それ以後、田狭は、そして楠媛たちはどうなったのでしょうか???こんな疑問が沸き起こりますが書紀には、ただ、「吉備海部直赤尾と一緒に百済の才伎を連れて帰国した。」としか書いていません。先に「赤尾も弟君と共に・・」と書いたのですが、それも全くの間違いでした。それならと、ここで、また、頭を横切ります。もしかして、この「赤尾」は、雄略が百済における弟君の行動を密かに監視するために遣わしていたのではないいかとも???だからこそ楠媛が赤尾の援助のもとに、いとも、簡単に夫を殺害できたのではないかとも???
それからもう一つ、弟君と共に百済に派遣した「知利」が百済で集めた才伎(工人技術者)ですが、百済の人ではなく、当時の百済にいた世界最先端の数々の手工業技術を保持する中国人の「才伎」だったのです。書紀にはそれについて
"新漢<イマキノアヤ>”(中国人)の陶部高貴、鞍部賢貴 画部因斯羅我、錦部定安那錦、訳語卯安那”
と連れて帰国したと記しています。
「陶器を作る人、馬の鞍を造る人、絵を描く人、絹織物をする人、通訳者」たちが日本に移住したことが分かります。このような人たちが倭国に帰化して、それが国力の増強にも通じて、唯、鉄器の製造だけの「真金吹く吉備国」を凌駕したのです。
この、雄略による私的な遺恨の解消から発展した「弟君」への
”汝宣往罰新羅<イマシ ウベユキテ シラギヲウテ>”
「新羅を罰て」の詔は、このような思わぬ経済的な発展をももたらし、以後の「倭」と「吉備」との国力の差異につながり、これが吉備国の衰退の原因となり、そして、遂に、大和が日本の国を統一して、天皇中心の中央集権国家の誕生を生む原因になったのだと思われますが・・・
それからもう一つ、弟君と共に百済に派遣した「知利」が百済で集めた才伎(工人技術者)ですが、百済の人ではなく、当時の百済にいた世界最先端の数々の手工業技術を保持する中国人の「才伎」だったのです。書紀にはそれについて
"新漢<イマキノアヤ>”(中国人)の陶部高貴、鞍部賢貴 画部因斯羅我、錦部定安那錦、訳語卯安那”
と連れて帰国したと記しています。
「陶器を作る人、馬の鞍を造る人、絵を描く人、絹織物をする人、通訳者」たちが日本に移住したことが分かります。このような人たちが倭国に帰化して、それが国力の増強にも通じて、唯、鉄器の製造だけの「真金吹く吉備国」を凌駕したのです。
この、雄略による私的な遺恨の解消から発展した「弟君」への
”汝宣往罰新羅<イマシ ウベユキテ シラギヲウテ>”
「新羅を罰て」の詔は、このような思わぬ経済的な発展をももたらし、以後の「倭」と「吉備」との国力の差異につながり、これが吉備国の衰退の原因となり、そして、遂に、大和が日本の国を統一して、天皇中心の中央集権国家の誕生を生む原因になったのだと思われますが・・・