一碗

みんなで楽しく、
何でもありのお茶人生・・

一粒も残さず食べる

2018-07-24 16:36:04 | 日記
     
今日は、磐田へ映画を見に・・話題の「万引き家族」

日本の社会問題も色濃く・・・外国の審査員にも理解できたということですね・・・俳優はうまかった。

で・・遅いおひるを食堂で・・
     

こういうとき、とにかく出たものを全部食べる習性があります・・ご飯は一粒も残しません。

小さいときに、そういう生活を送ったせいなんでしょうね


柳田国男の「明治大正史」を読んでいて、書いてあることが、かなりの部分実感できるのです。

昭和25年ころまでは、明治大正とあまり変わらない生活が残っていたのですね。


私と同年の宮崎のお茶の試験場にいた友人は、子供のころ、夜は松明(たいまつ)の下で勉強していたそうです。
村で新聞を取っているのは村長?さん宅だけで、ですから便所でも紙を使うことはなかったそうです。
では、どうしていたか・・「しりこきぼう」というのがあったそうで・・・
竹の皮は籠などを編む貴重な素材でしたが、皮をはいだ後の身の部分をへら状にして使っていたそうで・・

履物は、藁草履かはだし・・私が初めて革靴を履いたのは就職してからでした。それまでは・・
下駄とゴム草履とズック靴

家は、内と外とは同じ・・周りはみんな自分のうちの庭。家の中は丸見え。子供たちは朝から外で遊び、大人は外で働き、家は、よる食事をして寝るだけの場所。


雨の日は、一日寝ていた・・夏も日中は家じゅうマグロのように寝てました。外ではみんな裸・・

かすかに記憶があるのは、当時、郵便配達のおじさんが裸で配達をしていて問題になりました。

公務員が裸で仕事をしていいのかって・・・

初期の頃、アメリカでは緑茶に砂糖を入れていたという話に奇異な感を持つ人がいますが、私の子供の頃は、お茶にほんのちょっと砂糖を入れて飲むのが贅沢でした。「そうめん」にも砂糖をかけていました。
歴史を学ぶ上で重要なことは、当時の人々や社会とどう一体感が持てるか、ということです。

でないと、正しい理解ができません。



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コメント
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