※ブログの内容の日本語は、動画の日本手話を意訳したものです
※ろう者=日本手話という日本語とは異なる言語を話す言語的少数者
こんにちは、甲府市民レポーターの玉置です。
今回は、決して忘れてはならない甲府の歴史の一つを深く知るために、「山梨平和ミュージアム」を訪問しました。
― 1945年7月6日、夜11時47分
この甲府のまちはアメリカ軍機B29によって空襲され、灰燼(かいじん)に帰した。―
その空襲は、7月7日の午前1時37分まで約2時間続いていたため、「たなばた空襲」とも呼ばれています。
死者1,127名、負傷者や不明者も1,000名超えと、多くの方が被害に遭いました。
さまざまな展示の中で、多くの疑問に対するこたえを見ることができます。
例えば、
<なぜ、甲府を空襲したのか?>
→当時、アメリカは全国各所で人口10万人以上の都市を対象として狙っていたことから甲府もその被害となりました。
<空襲で使われていた焼夷弾(しょういだん)とは何か?>
→早く日本が降伏するよう、多くの建物を焼き払い、犠牲者を出すことを目的に使用された爆弾です。
ほかにも、山梨在住の方々の戦争体験記がいくつも展示されており、体験者にしかわからない本当の戦争の姿を見ることができます。
戦時中4度にわたって招集された谷沢芳男氏は、そのときの気持ちを一つひとつ記した体験記を90歳で出版したそうです。
そのなかには、「平和は戦争を忘れないことから平和を保つことができるのです」と、
特に若い世代に向けてのメッセージが込められていました。
また、B29を操縦していたローランド・ボール氏と諸星廣夫氏の対話記録(メール等)、アメリカから見た甲府の資料など、珍しい資料を見ることもできます。
日本の立場から見た戦争の資料や展示などは多くありますが、このように、アメリカの立場から見た資料はとても貴重です。
この方は、山梨平和ミュージアム代表の浅川保氏です(写真左)。
高校で日本史を教えていた浅川氏は、授業を通じて甲府空襲についての資料を収集していました。そして、50歳頃からこの施設を開業するための本格的な活動をはじめ、2007年5月26日、「山梨平和ミュージアム」が開館したそうです。
この日は浅川氏がガイドをしてくださり、わかりやすく解説していただきました。
浅川氏は、山梨平和ミュージアムの目的を次のように述べていました(以下、パンフレットより引用)。
・甲府空襲、甲府連隊など15年戦争に関わる資料を収集・保存・展示して、戦争の事実と真相を次世代に伝えていく。
・平和・民権・自由主義を貫いた石橋湛山の生涯と思想を紹介する。 他
【今は甲府の町が復興し綺麗になっていますが、やはり若い世代、後世の方のためにも、甲府市の「負の遺産」としていつまでも語り伝えなければいけない】
ぜひ皆さんも、実際に自分の目で見て、考え、「甲府と戦争」を風化させないよう、次の世代に語り継いでいきましょう。
それでは、またお会いしましょう!!
NPO法人山梨平和ミュージアム
―石橋湛山記念館―
HP:ttp://ypm-japan.jp/index.html
〒400-0862 甲府市朝気1-1-30
電話/ファックス:055-235-5659
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