◆低山散歩 要害山編◆
こんにちは。今年度の市民レポーター、「かずさん」こと武田和巳(70才)です。
私は2022年10月で市のホームページに掲載されている『甲府市ウォーキングマップ』31地区のコースを歩きブログにまとめました。
引き続き“健康のために甲府の街を散歩しながら、新しい発見をする”を目標に甲府市の魅力をご紹介していきます。
甲府市31地区コースのブログは以下にまとめて掲載されています。是非ご覧ください。
●甲府市ウォーキングマップ
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/kenkoese/kenko/kenko/kehatsu/walking.html
****コースの紹介****
今回は「低山散歩」第三弾として、甲府市にある低山の一つ、相川地区にある標高787m(昭文社地図より)の要害山に登りました。山梨百名山に選定されています。
要害山には武田信虎時代の永世17年(1520年)に後詰めの城が築城され、武田信玄公誕生の地でもあります。曲輪、堀切、石垣など当時の遺構が多く残っています。
相川地区の「かずさんの街散歩vol.24」は下記をご参照ください。
https://blog.goo.ne.jp/kofu-reporter/e/13613efcaaf8a311cca026fa14c2c4d8
まず1回目は、2022年12月6日に登りました。
この日はあいにく霧が発生している日で、周りの景色は全く見えませんでした。
逆に、神秘的な雰囲気を醸し出していました。
やはり、晴れた日の山歩きをしたいので、2023年6月29日に再度登りました。
霧の景色と晴れの景色を比べてください。
「要害山登山口前の駐車場」からスタートします。
向かい側にトイレがあるので助かります。熊よけに熊鈴を鳴らしながら登りました。
史跡の碑を過ぎて登山道に入り、山頂を目指します。しばらくきつい上り坂が続きます。
しばらく歩くと「史跡境界」の立札があります。
「堅堀跡(たてぼりあと)」「土塁」の遺構がありますが、私にはよくわかりませんでした。「堅堀」とは、山の傾斜に対して、上から下へ縦方向に掘られた堀のことで、戦の攻防時、敵の移動を制限するのに役立ったそうです。(立札より)
しばらく登ると、江戸時代に建てられた「武田不動尊」のある「不動曲輪」に着きます。
「曲輪」とは、堀や土塁によって区画された平場を曲輪(郭)といい、居住用の建物や倉庫・防御施設が建てられていたそうです。(立札より)
この先、道が狭くなり、門跡があります。「門跡」は両側に石積を築いた出入口部(虎口)で、防御を目的とした門だそうです。(立札より)
実際に攻める立場で上ってみると、この城を攻め落とすのは至難と思われました。
この先、いくつかの曲輪跡を通っていきますが、現在登山道として歩いているスロープは、武田時代には無く後世に造成されたそうです。当時は防御のために道はなく、曲輪(平坦部)を、段を上るように通過していたとのことです。
この先の木々の間から甲府の街並みが望めました。当然「晴れの日」です。
いよいよ頂上間近の門跡です。一段と狭く作られています。
頂上に到着です。
城の主郭部のあった山頂の様子と、山頂から見た景色です。山頂からは晴れていても木が生い茂り周りの景色はほとんど見られませんでした。
下山途中、脇道に少し入り「井戸」に立ち寄りました。この井戸は築城の際に「諏訪明神」に祈り得たので「諏訪の水」と言われ、一年を通して絶えることがないそうです。(立札より)
**** コースの感想 ****
要害山の標高は、昭文社地図787m、登山口案内板770m、甲府市発行甲府名山手帳780mとまちまちでした。
コースは登山口駐車場から歩き、歩数は往復5,800歩になりました。登山道は一本道で迷う心配はありません。傾斜がきつい個所や枯葉で滑りやすい個所もあり、スニーカーでも登れますが、トレッキングシューズをお勧めします。
駐車場は無料で10台程度駐車できます。向かい側にトイレがあるので登山前、下山後に利用しました。登山口の前には、登山で使用した杖が何本かおいてありました。
2022年12月に登った時は一面霧で神秘的な景色でした。
2023年6月の晴れた日に再度登り、前回撮影した場所で同じ構図の写真を撮りました。
低山散歩でも、季節、天候で山の景色の変化を楽しめました。
また、山の景色は日々変化しているので、撮影した場所の特定に苦労しました。熟知した道でないと場所の特定が困難であることを実感しました。
要害山は詰城で敵の攻撃を防ぐためか、途中や頂上にも見晴らしの良い場所が無く、少し残念でした。
以上