
◆〜「右左口宿(うばぐちじゅく)」編こぼれ話〜◆
こんにちは。市民レポーターの 杉浦玲子 (すぎうら れいこ)です。
今回は「広報こうふ」8月号“とびだせ!市民レポーター!”で、右左口宿歴史文化村推進会会長の渡辺治さん、顧問の千野宇平さんと一緒に右左口宿を取材した際のこぼれ話です♪
★「宿」の町並み★
江戸時代から、物資の主要ルートとして山梨県の商業を発展させてきた中道往還。
主に海産物を運んだことから、別名「魚道」と呼ばれ、「右左口宿」はその重要な中継所として栄えてきました。
「徳川家康が軍用道路としてこの道を整備したとき、塵一つ落ちてなかった右左口宿の人たちの忠義と働きぶりに、織田信長も感激したそうですよ。」と千野さん。
「その功績を称えて、かつてこの地区の人々には関所を24時間通れる『通行手形』の発行や、年貢米の免除もあり、かなり優遇されていました。」
坂道の両端は峠に向かって左側が上水、右側が下水と、すでに400年前から上下水道が整備。
坂道に面して並んでいる間口4間2尺(7.7m)の家々は、いずれも奥行きが100mほどあり、往時の裕福さを物語っています。
現在では空き家対策として、移住希望者には土地と家屋と、さらにその売主が所有している農地も含めて、購入・居住してもらう取り組みもされています。
「人が増えれば、まちの活性化にもつながります」と渡辺さん。
歴史あるまちの魅力が、再認識されている様子です。
★春祭りと秋祭り★
渡辺さんの話によると、かつて春祭りではお祭りの準備で学校が公欠になり、小中学生の青年部がホウキ草でホウキを作って販売するなどして、お祭りの資金稼ぎをしていたそうです。
また奉納相撲では、櫓太鼓を鳴らすのが上級生のステータス。
千野さんも、「櫓太鼓を叩くことができるのは、最上級生の2人くらいだけで。松の木の上に登ってね。かっこいいなぁって思ったものですよ。」と懐かしそうに仰っていました。
観音堂での奉納相撲が春祭りなら、五社神社からの神輿で宿のまちを練り歩くのが秋祭り。
その昔、秋祭りの神輿は「あばれ神輿」とも言われ、家々の軒先を壊すほどの勢いだったとか。
「祭りの頭領が、毎年あちこちのお宅に謝りに行ったらしいですよ。」と渡辺さん。
最近は担ぎ手の方々も落ち着いて、身体をいたわりながら神輿を担いでいるそうです。
★故郷の歌人・山崎方代★
方代公園には、方代直筆の歌碑「ふるさとの右左口村は骨壺の底にゆられてわがかえる村」があります。
方代ファンの会「方代会」作成の歌碑マップによると、なんと中道には方代の歌碑が20ヶ所以上も。
好きな歌を探しながら歩くのも楽しそうですね。
※歌碑マップは「右左口宿」バス停に置いてあります。
みなさんもぜひ自由な楽しみ方で、中道往還を歩いてみてください♪
ちなみに、「方代の里なかみち短歌大会」が毎年開催されています。
興味のある方は、こちらへどうぞ↓
【甲府市HP 「第22回方代の里なかみち短歌大会」作品募集 】
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/bunkashinko/tankataikai/22th/tankataikai22.html
―取材へのご協力 ありがとうございました―