保元の乱 (1156年) 弟の後白河天皇と兄の崇徳上皇が対立していたが、1156年に鳥羽法皇が亡くなると、政治の実権をめぐって、藤原氏や源氏・平氏の武士を巻き込んでの争いになった。清盛は、源義朝とともに後白河天皇に味方して勝利をおさめその地位が高まった。崇徳上皇は讃岐に流されて当地で亡くなりました
右手の社標柱は大正2年建立です
白峯神宮
当神宮は崇徳天皇及び淳仁天皇を祀る。明治天皇は父孝明天皇の遺志を継ぎ、保元の乱により讃岐国(香川県)へ配流になった崇徳天皇の慰霊のため、明治元年(1868)讃岐の白峯陵より神霊を迎えて、創建された。次いで明治6年(1873)には奈良時代に僧道鏡と恵美押勝の争いにより、淡路島に配流の淳仁天皇の神霊を迎えて合祀された。この地は蹴鞠・和歌の宗家飛鳥井家の邸跡で、同家の守護神「まり精大明神」が祀られ球技愛好者に崇敬されている。他に「伴緒社」「潜龍社」などの境内社があり、「おがたまの木」は京都市の天然記念物に指定されている。 京都市
門をくぐると 拝殿です
右・手水舎 飛鳥井として有名 清少納言が枕草子の中で9つの名井を挙げていますその中の1つです
拝殿前の右近の橘 と 左近の桜 です
樹齢数百年のオダタマノキ です
樹齢は数百年と考えられ,
この地が蹴鞠の家元であった飛鳥井家の邸宅であった時代の植栽と見られる。
樹高は15.7m,主幹は,地際付近で,ほぼ直上する北幹と大きく南へ斜上する南幹に分かれ,胸高幹周は南幹で2.42m,北幹で2.51mに達する。
主幹基部から伸びた根は,盛り上がるように主幹を取り巻き,老齢の観を呈しているが,樹勢は旺盛である。
オガタマノキは,社寺境内によく植えられる樹木で,
社寺の多い市内においても,この木が最大であり,貴重である。
白峯神宮のオガタマノキ
慶応4年(1866)創建の、ここ白峯神宮の社地は蹴鞠と和歌の家元であった飛鳥井家の邸跡にあたる。このオガタマノキは、樹齢が数百年と考えられることから飛鳥井家の邸宅であった時代に植えられたものと見られる。オガタマノキは、春に芳香のある花を咲かせ、その名は招霊(神霊を招く)がなまったものという説もある。社寺の境内によく植えられる木であるが、この木が京都市内で最大のものである。昭和60年6月1日、京都市指定天然記念物に指定された。
京都市
歌碑です
同 説明文 です
人気のある 蹴鞠の碑 です
各種の絵馬です
地主社です
崇徳天皇欽仰之碑 です
武道の神 伴緒社(とものをしゃ) 鳥居は大正4年建立です
潜龍社です
拝殿です
本殿です
奉納額です
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