アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

祠上010  六剣大神 

2015年04月28日 16時24分21秒 | 町内の小さな祠

鳥居などは 大正15年の建立です

見上げる大きな大木に成長しています

 前回の祠 記事 ➡  祠上009  最上位経王大菩薩  町中の祠  

 

 


紀元右009  今宮神社・右京区 紀元2600年記念 献木

2015年04月28日 15時10分23秒 | 神社

御霊社の1つです   

1015年 三条天皇の夏、疫病が流行したとき、託宣によって創祀された。このとき、疫病を免れようと多数の人々が集まったという

1052年 後冷泉天皇の夏、再び疫病が現れたので御霊会が行われた

中世以降は法金剛院、仁和寺の鎮守守として崇敬された。現在は花園・安井両町の産土神として崇められている

鳥居のしめ縄が大きいです  社標柱は明治33年10月の建立です

左のひときわ高い街燈は昭和3年10月建立

 

 

拝殿と左方は本殿です

 

献木 紀元2600年記念 寺ノ前

楠拾本 勤労奉仕楠花青年会

 

 

 

1 紀元2600年石碑  大酒神社

 

2 上御霊神社の絵馬堂の奉納絵

 

3 「梅津大神宮」

 

4 町内に 皇紀2602年石碑   大東亜建設記念 と書かれています

 

5 上御霊神社 献木

 

6 六請神社の社標

 

7 下御霊神社の献木

 

8 小松原公園のラジオ塔

 

9 今宮神社(右京区)の献木

 

10 禁裏道場蹟

 

11 町内の国旗掲揚に使った石柱

 

12 皇紀2600年奉祝記念と書かれています

 

13  共同井戸 紀元2600年

 

14 天道神社

 

15 伏見稲荷  

 

16 建勲神社の社号標

 

17 民家に石柱

 

18 警察消防招魂社   

 

19 若宮神社 (紫野)  

 

20 だるま寺の島津源蔵の文  

 

21 光澤寺の石碑             

 

22 嵯峨釈迦堂の愛宕権現社 灯籠    

 

23 大炊御門万里小路殿    

 

24 蒲生君平 石碑    

 

25 松尾大社の燈籠    

 

26 龍田稲荷神社  

 

27 名和長年 

 

28 東本願寺・同朋会館門前  9月27日

 

29  香雪院 中興碑  10月10日

 

30 新日吉神宮  10月11日

 

31 苗塚  10月12日

 

32 山科三之宮  

 

33 陽明文庫  

 

34 御室八十八ケ所の道標  

 

35 萩児童公園

 

36 八大神社

 

37 紀元037  紀元2600年 上御霊神社  献木 

 

  

   


寺院上0109  仙宗寺  真宗大谷派

2015年04月28日 15時09分23秒 | 寺院

おなじみの 仁丹の 通り名・町名看板です

この町の初心者には助かります

子供が迷子になるのは納得できます

 

 

寺院 前回の記事 ➡  寺院上0108   高野山 堀川別院  蔵林寺  高野山真言宗  


花右004 愛宕山の花だより

2015年04月28日 08時07分04秒 | 

愛宕山 924メートル 天候に恵まれた 平成27年4月27日 でした

清滝➡表参道➡山頂➡月輪寺➡清滝 の コースです

清滝 8時出発  13時30分着

山頂の気温は14度 この日市内は最高気温28度にもなりました

  

表参道 7合目 付近   ツツジ  色鮮やかです

 

 

山頂付近  表参道  山桜 満開です

 

 

青空に 桜は 映えます 

 

山頂広場の桜

 

 

 

月輪寺へ下るコースに入ったところ  花の名は 不明

 

 

 

 

ネジキ    (アセビかも)

 

 

 

月輪寺へ下るまで ツツジが いたるところで 見頃でした

 

 

 

 

 

月輪寺のシャクナゲ

 

花 前回の記事 ➡ 花西003  ヤマブキ  ちょっと早かった  松尾大社  

 

 

 


まち歩き上0105  一条戻橋の話  (九) 千利休  京で有名な橋 

2015年04月28日 01時14分45秒 | まち歩き

一条戻橋(いちじょう もどりばし) です

 

天正19年(1591年)2月13日利休を聚楽第から追放し、故郷の堺に蟄居(ちっきょ)させた。やがて、切腹の命が下り、26日京都に呼び戻された利休は、2日後の

天正19年(1591年)2月28日千利休は聚楽第の利休屋敷で自刃させられ70年の生涯を閉じた。

 秀吉は大徳寺に安置された千利休の木像を磔(はりつけ)とし、首は雪駄(せった)をはいた木像で踏みつけられる形で橋上にさらした。

 

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き上0104 一条戻橋の話 (八) 島津歳久の首がされされた 京で有名な橋