崇道天皇(早良親王)、伊予親王、藤原吉子、藤原広嗣、橘逸勢、文屋宮田麿の非業の死を遂げた、疫病流行や天変地異はこの怨霊によるものと考えられ、それを鎮めるために御霊が祀られた
霊元天皇の祈願文(重要文化財)があります
江戸時代の朱子学 山崎闇斎の垂加社 山崎闇斎の弟子の子孫が今の宮司さんとのことです
献木 日本国防婦人会による紀元2600年 石碑
3 「梅津大神宮」
4 町内に 皇紀2602年石碑 大東亜建設記念 と書かれています
5 上御霊神社 献木
6 六請神社の社標
7 下御霊神社の献木
10 禁裏道場蹟
13 共同井戸 紀元2600年
14 天道神社
15 伏見稲荷
16 建勲神社の社号標
17 民家に石柱
18 警察消防招魂社
19 若宮神社 (紫野)
20 だるま寺の島津源蔵の文
21 光澤寺の石碑
23 大炊御門万里小路殿
24 蒲生君平 石碑
25 松尾大社の燈籠
26 龍田稲荷神社
27 名和長年
28 東本願寺・同朋会館門前 9月27日
29 香雪院 中興碑 10月10日
30 新日吉神宮 10月11日
31 苗塚 10月12日
32 山科三之宮
33 陽明文庫
34 御室八十八ケ所の道標
35 萩児童公園
36 八大神社
衣笠岳御霊社の後身とみられ、中世は隣の真如寺の鎮守神、のち等持院の鎮守社となった。現在は地元の産土神とあがめられています
10月24日は例祭。力石神社 境内末社 小石に本人の性別住所年令と祈願の理由を記して奉納すれは、祈願成就するといわれる
紀元2600年11月とある
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17 民家に石柱
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27 名和長年
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34 御室八十八ケ所の道標
35 萩児童公園
36 八大神社
一条戻橋(いちじょう もどりばし) です
「源氏物語」 (宇治の巻)には 「行くは帰るの橋なり」 と出ています
和泉式部の歌には
何処にも(いずくにも) 帰るさまのみ 渡ればや
戻橋とは 人のいふらん (夫木抄)
とうたわれた
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き上0098 有名な戻橋 鬼女が出た、名刀「鬼切丸」 (三)