アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

道標右0044  光孝天皇・宇多天皇 参道

2015年04月21日 13時42分22秒 | 陵墓

ここは 御室仁和寺 西門を出たところ

だいぶ 傾いています

 

こちらからでは まっすぐ 建っています

昭和4年 建立  大阪皇陵巡拝会

 

開聞 午前7時30分

閉門 午後4時30分

 

 道標 前回の記事 ➡  道標右0043  左 竜安寺御陵道  

 


神社右0037  今宮神社 (右京区) 御霊社の1つ

2015年04月21日 11時02分33秒 | 神社

御霊社の1つです   

1015年 三条天皇の夏、疫病が流行したとき、託宣によって創祀された。このとき、疫病を免れようと多数の人々が集まったという

1052年 後冷泉天皇の夏、再び疫病が現れたので御霊会が行われた

中世以降は法金剛院、仁和寺の鎮守守として崇敬された。現在は花園・安井両町の産土神として崇められている

鳥居のしめ縄が大きいです  社標柱は明治33年10月の建立です

左のひときわ高い街燈は昭和3年10月建立

 

 

 

今宮神社

 今宮神社は、素戔嗚命を祭神とする御霊社で、長和4年(1015)に創建された。のちに仁和寺の鎮守社となったが、現在は花園・安井一帯の産土神となっている。現本殿は大型の一間社流造で、当社所蔵の棟札に、寛永21年(1644)の年号と共に「大檀主征夷大将軍源家光」「大法主入道一品大王学深」とあることから、仁和寺第21世覚深法親王徳川家光の援助のもとに、仁和寺寛永再興の一連として造営したことがわかる。 この本殿は、向拝等に一部年代が下がる部分があるが、質が高く、また仁和寺の寛永再興時の規模を知るうえでも貴重な遺構であり、昭和39年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。 京都市

 

 右 何が書かれているのか不明

 

拝殿と左方は本殿です

 

献木 紀元2600年記念 寺ノ前

楠拾本 勤労奉仕楠花青年会

 

 

使われなくなった井戸

 

改修された拝殿

 

                                   東参道の倉庫

 

東参道入口

 

次の画像は 2017年12月 追加  2017年1月に撮影

 

  前回の神社記事  ➡  神社上0036  大将軍八神社 都を守る 西の要所 

五七五

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也 /芭蕉

 

京ことば  アイサニ

まれに。ときどき。「アイサニ本屋さんで会うエー」

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寺院上0097  東光寺 浄土宗 四拾八願所

2015年04月21日 10時33分22秒 | 寺院

48願所  いつの時代に選定された48願所なのだろう

 平成27年3月31日 撮影

 寺院 前回の記事  ➡

 寺院上0096  回向院  浄土宗  画家 長沢芦雪(ろせつ)の墓所

  

 


石碑上0037   皇紀2602年 大東亜建設記念 と記されています

2015年04月21日 06時29分09秒 | まち歩き

たぶん 旗を掲げるようにしたものでしょう 

 なぜ紀元2602年(昭和17年)なのか

 

大東亜建設記念 と書かれています  菱屋町内會

関連記事 ➡ 紀元2600年  

石碑 前回の記事 ➡  石碑上0036  珍しい 石碑 道路寄付者 

 

 


まち歩き上0094  京都で有名な橋のひとつ  一条戻橋の話  (一)

2015年04月21日 01時26分17秒 | まち歩き

一条戻橋(いちじょう もどりばし) です

平安遷都以来 その位置が変わらないという点で重要視されています

794年~2015年     1200年以上

 

まち歩き 前回の記事  ➡ まち歩き上0093  橘公園のラジオ塔 なぜか関西に多い現存は京都が一番多い