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石碑中0023 横井小楠 殉節地

2015年04月04日 20時40分19秒 | 石碑

横井小楠(1809~1869年)は熊本藩出身で 

福井藩主松平春嶽(1829~1890年)を助けた。

関連記事 ➡ 橋本左内

明治2年(1869年)正月5日 御所参賀の帰途この地で暗殺された。

家来の5名も重傷を負ったが、たまたま1人の家来が事件を聞きつけ、刺客を追って

富小路夷川下ルの所で首を取り返した

 

 墓は南禅寺の天授庵にあります。

生前交遊のあった 梁川星巌の墓と相対して葬むられた

 

 

信号の向こうは御所・京都御苑

 

7日に出た御触れ(複製)

 

現代語に直したもの

 

この人相書きは、明治2年1月5日、議政官参与 横井平四郎(小楠)が、

6名の攘夷派の刺客に暗殺された事件の急触れ(手配書)である。

 

同月16日に犯人の鹿島又之丞は高野山で捕えられ、

前岡力雄は、翌3年6月に中山道垂井宿で捕まった。

中井刀祢尾は行方が分からないまま終わっている。

また4人目に松本文助とあるが間違いである。

なお主犯の鹿島又之丞、前岡力雄はさらし首となった。

暗殺の舞台となった寺町丸太町東南角の歩道上には「横井小楠殉節地」という石碑が建っている。

 

 

関連記事 ➡ 十津川郷士

 

 

幕末 熊本藩士

  • 細川斉護(藩主)
  • 細川韶邦(藩主・斉護の子)
  • 長岡是容(家老・長岡監物)
  • 細川護久(藩主の弟)
  • 長岡護美(藩主の弟)
  • 細川行真(肥後宇土藩藩主)
  • 細川利永(肥後熊本新田藩藩主)
  • 松井章之(藩筆頭家老、八代城主)
  • 元田永孚(元田大吉)
  • 横井小楠
  • 横井太平
  • 岩男三郎
  • 徳富一敬
  • 井上平太
  • 林桜園
  • 宮部鼎蔵(藩士)
  • 宮部春蔵(藩士)
  • 河上彦斎(藩士)
  • 松田重助(藩士)
  • 高木元右衛門(藩士)
  • 轟武兵衛(藩士)
  • 太田黒伴雄(藩士・神官)
  • 加屋霽堅(藩士・神官)
  • 尾形俊太郎
  • 岡田摂蔵
  • 木下助之
  • 西山大衛
  • 林正明
  • 宮崎八郎
  • 安場保和

前回石碑の記事  ➡  石碑右0022 清原夏野  双ヶ丘 山頂で  

 

 


神社上0029  護王神社 イノシシがシンボル  その1

2015年04月04日 01時53分06秒 | 神社

京都御苑の西に在ります  3回に分けて投稿します

 

 

護王神社

桓武天皇に遷都を進言し平安京の都造りを推し進めた和気清麻呂とその姉広虫を祭神とする神社。もとは、神護寺境内にあったが明治19年(1886)この地に移された。広虫が慈悲深く、京中の孤児を養育したことにより子育て明神と呼ばれ、育児の神として信仰される。

拝殿の前に狛犬のかわりに猪像があるが、これは清麻呂を猪が守護したという故事にちなむ。11月1日に亥子祭がある。京都市

 

鳥居前のイノシシです

 

拝殿です

 

 拝殿前のイノシシです

拝殿と向こうは 本殿です

 

西(白虎・秋)  東(青龍・春)

北(玄武・冬)  南(朱雀・夏)

 

護王神社はこの地に移転する前は 高雄の神護寺にありました 明治19年(1886年)に移転しました

 関連記事➡ その2   その3

                  神社八幡0179  和気神社

 前回の神社記事  ➡  神社上0028  白峯神宮  崇徳・淳仁天皇を祀る