横井小楠(1809~1869年)は熊本藩出身で
福井藩主松平春嶽(1829~1890年)を助けた。
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明治2年(1869年)正月5日 御所参賀の帰途この地で暗殺された。
家来の5名も重傷を負ったが、たまたま1人の家来が事件を聞きつけ、刺客を追って
富小路夷川下ルの所で首を取り返した
墓は南禅寺の天授庵にあります。
生前交遊のあった 梁川星巌の墓と相対して葬むられた
信号の向こうは御所・京都御苑
7日に出た御触れ(複製)
現代語に直したもの
この人相書きは、明治2年1月5日、議政官参与 横井平四郎(小楠)が、
6名の攘夷派の刺客に暗殺された事件の急触れ(手配書)である。
同月16日に犯人の鹿島又之丞は高野山で捕えられ、
前岡力雄は、翌3年6月に中山道垂井宿で捕まった。
中井刀祢尾は行方が分からないまま終わっている。
また4人目に松本文助とあるが間違いである。
なお主犯の鹿島又之丞、前岡力雄はさらし首となった。
暗殺の舞台となった寺町丸太町東南角の歩道上には「横井小楠殉節地」という石碑が建っている。
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幕末 熊本藩士
- 細川斉護(藩主)
- 細川韶邦(藩主・斉護の子)
- 長岡是容(家老・長岡監物)
- 細川護久(藩主の弟)
- 長岡護美(藩主の弟)
- 細川行真(肥後宇土藩藩主)
- 細川利永(肥後熊本新田藩藩主)
- 松井章之(藩筆頭家老、八代城主)
- 元田永孚(元田大吉)
- 横井小楠
- 横井太平
- 岩男三郎
- 徳富一敬
- 井上平太
- 林桜園
- 宮部鼎蔵(藩士)
- 宮部春蔵(藩士)
- 河上彦斎(藩士)
- 松田重助(藩士)
- 高木元右衛門(藩士)
- 轟武兵衛(藩士)
- 太田黒伴雄(藩士・神官)
- 加屋霽堅(藩士・神官)
- 尾形俊太郎
- 岡田摂蔵
- 木下助之
- 西山大衛
- 林正明
- 宮崎八郎
- 安場保和
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