奨学院は,元慶5(881)年在原行平(818~93)が藤原氏の勧学院にならって,その西の大学寮南に創建した諸王・同族子弟教育のための大学。昌泰3年(900年)大学寮南曹となり,勧学院と並んで「南曹の二窓」と称されたここはその跡
コンビニの左端
石碑前回の記事 ➡ 石碑上0040 聚楽第 東壕跡
一条通から北を見ると 門が見えます
南門です 17世紀前期に作られた
門をくぐってすぐ左に 弁財天です
狛犬です 猫のスタイルをしています
阿像の形相は 猫にそっくり
丁寧な 説明がありました
本堂です 薩摩藩とは深いかかわりがあり、幕末、薩摩藩の屋敷に止まれなかった藩士が本堂などに宿泊したが中には暴れて刀で柱を傷つけたりしている その傷跡もあるらしい
引接地蔵(ひっぱりじぞう) 洛陽四十八願地蔵 第十四番札所
菩薩像は2メートルを超える大きさです
続きは 次回に
前回の寺院記事 ➡ 寺院上0097 東光寺 浄土宗 四拾八願所
一条戻橋(いちじょう もどりばし) です
源頼光の家来 渡辺綱が ある夜この橋のほとりで美しい女性に化けた鬼女に出会いあやうく一命を失いかけた。鬼は綱を空中に引き上げ、愛宕山の方に飛んで行った。空中で綱が鬼の片腕を切り落とすと鬼は逃げていき、綱と鬼の片腕は北野天満宮の回廊の屋根に落ちた。主君 頼光に相談すると頼光は安倍晴明を呼びと 晴明は7日間 経を唱えるようにいい、6日目に綱の乳母が突然現れ、どうしても「鬼の腕が見たい」と言い出し、綱が見せると乳母は鬼に変わり、「これは、私の腕だもらっていくぞ」と叫んで、腕をうばい愛宕山の方へ飛んで行ってしまった。
この時 綱が鬼の腕を切った刀は「鬼切丸」と呼ばれて、現在も北野天満宮にあり、公開の機会もあります。確か 宝物館です (宝物館は見どころいっぱいです)
また、境内には 綱が寄進した「石灯籠」もあります。
前回 まち歩き記事 ➡
まち歩き右0097 御室八十八ケ所の お堂を巡って 絵画鑑賞