ここは 小松原
西 龍安寺 仁和寺
より一丁
是 西 足利家菩提所 等
北 金閣寺
道標 前回の記事 ➡ 道標上0028 花山天皇陵、二絛天皇陵、三絛天皇陵 参道
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ここは、北野天満宮の社前
花山天皇陵 参道
二絛天皇陵、三絛天皇陵 参道
昭和4年11月建立 大阪皇陵巡拝会
道標 前回の記事 ➡ 道標右0027 花園村 道路元標
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地表に出る部分の長さはもちろん大きさも決められていたようです
参考 当ブログ 平成27年3月20日に 京都市道路元標 があります。彫りが深くてかっこいい
関連記事 ➡ 関連0005 道路元標
道標 前回の記事 ➡ 道標北0026 店の中 ? に道標が・・
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北野天満宮の境内が電車の折り返し地点のようでした
明治28年には 電車が走っていた
当時の実物はどこかに保存されているのでしょうか
石碑 前回の記事 ➡ 石碑中0031 女優 山本富士子 邸跡
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臨済宗 妙心寺派
奥に見える山は 衣笠山
太田喜二郎(画家)の墓所
寺院 前回の記事 ➡ 寺院北0072 真如寺 臨済宗相国寺派 宝鏡寺とつながりがある
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万年山と号する 臨済宗相国寺派 1285年 無着如大尼が開く
鎌倉幕府の執権金沢顕時(あきとき)の夫人となったが、顕時の死後出家剃髪して東福寺、鎌倉で修業を積む 娘が足利尊氏の父貞氏の夫人となったので足利氏の庇護を受ける。 応仁の乱で焼亡したが、1656年後水尾天皇 皇女 宝鏡寺宮月鏡尼公の入寺によって再興された。それから宝鏡寺宮歴代の菩提寺となる。
寺院 前回の記事 ➡ 寺院右0071 西光庵 浄土宗 双ヶ丘東麓
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華開山と号する 浄土宗知恩院派 鎌倉末期に浄土教弘通につとめた向阿上人の入寂の地 上人の晩年はここ双ヶ丘の東麓に草庵をむすんだのが当寺の起こりです 1345年83才で亡くなる 本堂の東側にある5輪石塔は上人の墓です
寺院 前回の記事 ➡ 寺院上0070 浄香庵 曹洞宗 安産地蔵尊 日本三躰
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天台宗 開山 元三慈恵大師 1030年御遠忌
中興開山350年 平成27年11月8日
2015 - 350 = 1665 年
拝観できません
本堂に星見地蔵があります
弘法大師は成長後、母と計って一体の地蔵尊を作ったが、
これが本像といわれる。
像は高さ60cmくらい、一木彫成の小さい立像で、
錫杖を左手に持ち、右手は袈裟の一端をつかんでいる。
お顔は左斜め上方に向け、遠い夜空の星を仰いでいるところから
「星見地蔵」の名が生まれた。
この地蔵尊は阿波国にあったが、寛文年間(1661~1673)、
当寺の再興にあたって移したものと伝わる。
特異な形態です
寺院前回記事 ➡ 寺院上0068 正行院 日蓮宗
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