山口銀行の京都支店として大正5年(1916)に建てられた。
鉄筋コンクリート2階建て。設計は辰野・片岡建築事務所。
山口銀行が撤退した後、北国銀行京都支店として使われていたが、
現在はレトロな雰囲気を生かして、喫茶・レストランが営業しています。
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秦氏の開削に起源を持つという洛西用水は,保津川(大堰川)から取水し,
西京区一帯をうるおす用水。
1948年から改修整備工事が行われ,1967年に完工した。
この碑はその竣工を記念したもの
完成は新しいです
洛西用水竣工記念碑
上古秦氏来居葛野蒙松尾大神之霊験拓保津峡
築大堰通一之井二之井是則為洛西用水之始焉
近世角倉了以務為修改然星霜屡移且荒廃甚矣
於是京都府則納有關農民之要望即整備桂川両
岸一帯用水排水溝既閲十九年耗資九億昭和四
十二年完竣其工因聊記之刊石以伝於後昆云
昭和五十年四月
洛西土地改良区
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ここは、平安末期、近衛天皇が、しばしば皇居とされた藤原忠通(摂政)の屋敷跡
で四条内裏または四条東洞院内裡ともいった。
この邸内にあった鎮守の社が神明神社である。
当社の宝物に「やじり」が2本伝わっている。
近衛帝の時、頭は猿、尾は蛇、手足は虎の「鵺(ぬえ)」という怪獣が夜毎空に現れ都を騒がせた。
これを退治せよとの命を受けた源三位頼政は、
神明社に祈願を込め、見事怪獣を退治したその御礼に奉納した弓箭(や)である。
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当社が厄除け・火除けの神と云われゆえんである。
昔、榎の大木があったので、榎神明ともいう。
当社には、豊園小学校内に祀られていた文子天満宮の祭神が戦後合祀された。
文子さんは北野天満宮創建の功労者である。
小学校に祀られてあったころから区民の信仰が熱い。
社号標は 大正4年4月(大正御大典と同じ年)
本殿
鵺
矢じり
矢じりの拡大
奉納額
末社
右から 日本武尊、春日大社、伏見稲荷大社、石清水八幡宮、北野天満宮
手水舎
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