アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

大正時代は銀行の建物でした今は喫茶・レストラン

2015年08月08日 09時37分59秒 | 建築物・明治・大正など

山口銀行の京都支店として大正5年(1916)に建てられた。

鉄筋コンクリート2階建て。設計は辰野・片岡建築事務所。

山口銀行が撤退した後、北国銀行京都支店として使われていたが、

現在はレトロな雰囲気を生かして、喫茶・レストランが営業しています。

関連記事は この画面左上 ブログ内検索 を使ってください

近辺地域記事  地図の右下 ユーザー地図 をクリック

関連記事  ➡ レトロな建物

 


光厳天皇髪塔

2015年08月08日 09時23分48秒 | 陵墓

光厳天皇(こうごんてんのう)1313年~1364年)は、

南北朝時代の北朝初代天皇とされている。諱を量仁(かずひと)という

 

元弘元年(1331年)、後醍醐天皇の倒幕のもくろみが発覚し(元弘の乱)、

8月に天皇が笠置山へ脱出すると、9月20日に量仁親王が即位し(光厳天皇)、

後伏見上皇が院政を行った。

皇太子には邦良親王の嫡男康仁親王が立てられて、両統迭立原則は維持されることとなった。

10月6日後醍醐天皇は廃され、翌年隠岐に流される。

なお、この時に光厳天皇が利用した里内裏が現在の京都御所になっていく。

 


洛西用水竣工記念碑

2015年08月08日 08時24分30秒 | 石碑

秦氏の開削に起源を持つという洛西用水は,保津川(大堰川)から取水し,

西京区一帯をうるおす用水。

1948年から改修整備工事が行われ,1967年に完工した。

この碑はその竣工を記念したもの

 

完成は新しいです

 

洛西用水竣工記念碑

上古秦氏来居葛野蒙松尾大神之霊験拓保津峡

築大堰通一之井二之井是則為洛西用水之始焉

近世角倉了以務為修改然星霜屡移且荒廃甚矣

於是京都府則納有關農民之要望即整備桂川両

岸一帯用水排水溝既閲十九年耗資九億昭和四

十二年完竣其工因聊記之刊石以伝於後昆云

   昭和五十年四月

  洛西土地改良区

 

関連記事は この画面左上 ブログ内検索 を使ってみてください

 近辺地域記事  地図の右下 ユーザー地図 をクリック

 

 


神社下0033 神明神社 鵺退治の矢じりがあります  綾小路東洞院

2015年08月08日 00時07分57秒 | 神社

ここは、平安末期、近衛天皇が、しばしば皇居とされた藤原忠通(摂政)の屋敷跡

で四条内裏または四条東洞院内裡ともいった。

この邸内にあった鎮守の社が神明神社である。

当社の宝物に「やじり」が2本伝わっている。

近衛帝の時、頭は猿、尾は蛇、手足は虎の「鵺(ぬえ)」という怪獣が夜毎空に現れ都を騒がせた。

これを退治せよとの命を受けた源三位頼政は、

神明社に祈願を込め、見事怪獣を退治したその御礼に奉納した弓箭(や)である。

関連記事 ➡ 源頼政

当社が厄除け・火除けの神と云われゆえんである。

昔、榎の大木があったので、榎神明ともいう。

 

当社には、豊園小学校内に祀られていた文子天満宮の祭神が戦後合祀された。

文子さんは北野天満宮創建の功労者である。

小学校に祀られてあったころから区民の信仰が熱い。

 

 社号標は 大正4年4月(大正御大典と同じ年)

本殿

 

 

 

矢じり

矢じりの拡大

奉納額

末社

右から 日本武尊、春日大社、伏見稲荷大社、石清水八幡宮、北野天満宮

手水舎

関連記事 ➡ 関連0008  御大典記念のあるところ  

前回神社の記事  ➡  神社中0032  下御霊神社  無実の罪で非業の死を遂げた人たちを祀る  

近衛天皇  ➡  近衛天皇火葬塚