アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

輪形地蔵・交通安全の御利益  夢を見たので、車石を堀りおこすと地蔵さんが出てきた

2015年09月03日 22時52分43秒 | 地蔵尊

 

輪形(わがた)地蔵

七条通東洞院から伏見に至る竹田街道を通る牛馬車の通行を楽にするために

車の通る下に石を敷きその石を村人は輪形の石とよんでいました。

ある夜の夢枕のお告げから村人がその輪形の石の1つを掘り起こしてみると

それは立派なお地蔵様でした。

村人はそのお地蔵様を輪形地蔵さまとよび、

車馬の危難を救い交通の安全をお守りくださるご利益があると敬いおまつりしてきました。

輪形地蔵尊護持会

 

 

詳しい話は・・・・

信心深い人が夢のなかで老僧が

「われは牛馬の労苦を救うために久しく泥の中に身を沈めていたが、

これからは一般の人々も救うから、早く掘りおこしてくれ」

といわれて夢がさめた。

翌朝、家の前の道路を見ると敷石の間から一筋の光が放たれていた。

掘りおこせば、背中に輪形のついた地蔵石仏が出てきた。・・

 

このほか、大津街道(旧東海道)や南郊の鳥羽街道・竹田街道など市中の要路の湿地には、

表面に荷車の車輪が入るだけのくぼみをつくった石を道路上に2列に敷き並べ、

車輪の回転を滑らかにした。これを「車石」とか「輪形石」といった。

 

ここの、地蔵はもとは竹田街道にあったが、

明治5年(1872)、辻堂廃止令により、現在の正行院に移された。

 

同じ型の地蔵は、長福寺(東九条御霊町)にもある。

「車石」は陶化小学校内にもある。

 

 

車石 ⇒ まとめ005 車石 のあるところ

関連記事  ➡  革堂 (こうどう)    6月19日  NEW 車石

           京都国立博物館 野外展示 石造物の12点  十三重石塔を追加

           大将軍八神社 都を守る 西の要所

 

 


電気鉄道・明治28年に発祥の地 京都・石碑

2015年09月03日 10時26分48秒 | まち歩き

電気鉄道事業発祥地

日本最初の電気鉄道はこの地に発祥した。

即ち明治28年2月1日京都電気鉄道株式会社は

東洞院通り七条下ル鉄道踏切南側から伏見下油掛通りまで6キロの間に

軌道を敷き電車の運転を始めた。

この成功を機として我が国電気鉄道事業は漸時全国に広がり

今日の新幹線電車にまで発展することになったのである。

よってその80周年にあたり先人の偉業を讃えてこの記念碑をたてる。

 

関連記事は この画面左上 ブログ内検索 を使ってみてください

関連記事 ➡ 金戒光明寺の参道にチンチン電車の敷石が使われています

        今は走っていない京都市電 記念石碑

       京都の北野界隈

       カラスがシンボルマークの「熊野神社」 

       日本最古の電車の石碑 電車好きの人の聖地の1つかも

近辺地域記事  地図の右下 ユーザー地図 をクリック

 


戦後70年 目次

2015年09月03日 07時09分04秒 | 戦後70年

項目をクリックするとその記事にワープします

 

堀川通の建物強制疎開の後 と 今  戦後70年

国際平和ミュージアム

辰巳公園 太平洋戦争中の空爆(空襲)を記録する碑

西陣空襲の爆弾の破片

遺族の家 の 札

1945年 パンプキン爆弾 被弾地 あなたの都市は

パンプキン爆弾って知ってますか (模擬原子爆弾)  戦後70年  NO8

「これが焼夷弾だ」   戦後70年  その7

「京都は原爆投下 候補地の1都市だった」   戦後70年  その6

「ポツダム宣言を拒否したから、原爆を落とされた」 これは間違い   戦後70年 その5

日本の空襲 犠牲者 50万人 以上 ・戦後 70年  その4

「NHK 戦争証言 アーカイブス」  パソコンで見れます一度は見てみよう  戦後70年  その3

 「 日本の都市空襲  京都は4番目 」  戦後70年  その2

 「京都市には空襲があった」  戦後70年 その1

 戦後70年006  大東亜戦争記念の灯籠  神社西0053  千丈天満宮