アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

本願寺伝道院 明治45年建築

2015年09月11日 17時33分36秒 | 建築物・明治・大正など

明治45年の建築。伊東忠太の「建築進化論」の考えを表現した建物。

重要文化財

 

 

 

 

 

 

建物の後ろを振り返ると こんな感じです  雰囲気が 違いますね タイムスリップ したようです  正面の門は 西本願寺

 

 

 

 

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平成27年5月14日のニュース

ラジオ塔探して全国行脚  京を含め28基が残る。 昭和初期には、全国で460ケ所以上設置された。

横浜市、静岡市、大阪市、岡山にも残る。京都市は比較的多く残っていて、8基あるという

京都=円山、船岡山、御射山(みさやま)、小松原、、紫野柳(むらさきのやなぎ)、萩の各公園、叡山ケーブル八瀬駅近く


木食上人 碑

2015年09月11日 09時50分14秒 | 町内の小さな祠

 

 小さな 石碑だ  石碑の裏面の内容が不明

 

 

関連記事 ➡   まとめ人物001  木食養阿上人

 

川柳

延命は 不要と書いて 医者通い    /賣市

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唯勝寺  真宗大谷派

2015年09月11日 07時41分41秒 | 寺院

真宗大谷派

 

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平成27年9月11日 ニュース  京都の埋蔵文化財施設 京都市考古資料館(上京区)向日市文化資料館、長岡京市立埋蔵文化財調査センター、府立山城郷土資料館(木津川)

                 


都の出入り口  洛中・洛外の出入り口の石標

2015年09月11日 05時39分19秒 | 石碑

 

是より洛中荷馬口付のもの乗へからす

 

乗馬禁止の石柱

 

 

この石碑から東を 洛中を見る

この付近は江戸時代の「京の七口」のひとつ丹波口である。

当時の京都には、都市全体を囲む城壁・環濠の御土居堀があったが、

町奉行所は当地を含むその出入口など約30ケ所に本銘辞を刻む標石を建設した。

すなわちここから東が同時代の京都(洛中)であった。 

歴史地理研究者  中村武生

関連記事 ➡  水火天満宮  

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平成27年9月11日のニュース   「鴨川・賀茂大橋下流の河川敷に2匹のシカが姿を見せる」


西蓮寺 時宗 空也上人、松尾の神、古い六地蔵信仰

2015年09月11日 00時15分57秒 | 寺院

 

 

 

時宗・西蓮寺

空也上人、松尾の神、古い六地蔵信仰

当山(寺)は、平安時代、10世紀後半の僧、空也上人の開基と伝えられています。

東山の六波羅蜜寺の開基の上人でもあります。人々に念仏を勧め、おどり念仏を始めた方です。

当山は、鎌倉時代に成立の時宗の祖とされる一遍上人との縁で、時宗となっています。

一遍上人は、空也上人を敬慕されていました。

なぜ、空也上人が当山のご開山上人かというと、嵐山の松尾大社の神様が、

空也上人に法華経の回向を頼まれたことが縁になっています。

法華経は、天台宗や日蓮宗が重んじる経典ですが、

中には、念仏信仰、阿弥陀信仰にかかわる内容もあるのです。

空也上人は、後半生を都の中の布教に専念されましたが、

平安京の市(国営のマーケット)でも布教をされました。東の市は、今の西本願寺の辺にありました。

当山の南に松尾神社の御旅所がありますが、平安の昔から、明治の初めまでは神仏混肴で、

同じ境内に神社と寺がありました。空也上人との縁でしょう。

松尾神社の西七条の御旅所は、松尾の御神体の一が宗像の神(女神)で、市の神様です。

西の市の神様であったのでしょう。

別に、衣手社という神輿もあり、空也上人と松尾の神様の縁のあることを示しています。

衣手とは、衣の袂のことで、空也上人が松尾の神様にあたえられたということになっています。

平安時代の末に鹿ケ谷の俊寛僧都が平氏打倒の陰謀を企て、それが露見して、

それに加担した人が、鬼界が島に流されたり、死罪になったりしています。

その中の一人に、西光法師という僧がいまして、死罪になりました。

死を前にして、都の六道の辻に自身と一族をとむらうため、六地蔵をお祀りしたと、

「源平盛衰記」に見えています。この西七条もその一つで、今日定着している六地蔵の六ケ寺以前の、

古い時代の信仰があったのです。

当山のご本尊、脇本尊は、それぞれ、鎌倉時代、平安時代末期作とされていまして、

古い時代の六地蔵信仰を伝えているかと思います。

時宗は、今は、小さい宗門ですが、かつては都の中で、浄土宗や浄土真宗より盛んな時代がありました。

当山は、今の西本願寺辺も寺領があり、東寺の僧の葬送に関わっていました。

東寺は官寺で、国家や天皇家安泰を祈る寺院で、

そこの僧は、上から下まで他界しても自ら葬送することは、

死の忌に触れるという視点からでしょうか、できなかったようです。

当寺の案内書

 

 

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