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大正の御大典を記念して 始まった 今年で 100回目
弘法大師の肉筆の文字が見られたのがよかった
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三十三間堂 南西 角 から北を見る
南西 角 から東を見る
蓮華王院・南大門
梁や貫の上に桃山時代特有の花鳥禽獣の彫刻のある蟇股がある。暗くて気が付かなかった。
昭和29年(1954)の修理の時、慶長5年(1600)豊臣秀頼の建立であることがわかった。
太閤塀
分厚い土塀、丸瓦や平瓦には桐の紋がついているので、俗に「太閤塀」と呼ばれています。
次回には、瓦を画像に収めたい。
4日後に行ってきました
桃は魔除けです
その由来は、日本神話に出てくるイザナミとイザナギの話からきています
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馬頭観世音菩薩 と書かれています
専称寺
当寺は、もと天台宗の末寺であったが、現在は浄土宗西山禅林寺派に属している。
創設は慶長16年(1611)で、本堂は元禄12年(1699)の再建である。
境内には、醍醐三宝院の開山である理源大師の自作念持仏「馬頭観世音菩薩」が祀られている。
このことから馬頭山専称寺と号し、「馬頭さんのお寺」と呼ばれるようになった。
古文書によると、その昔、霊地大峰山に大蛇が伏して人々を悩ましていた折、
理源大師は、三面憤怒の相好で虎牙を現し宝冠に白馬の頭を戴いた馬頭観音の姿は、
まさに悪魔も降伏させると確信し、自作の観音像を持参して山に入り、難なく大蛇を退治したという。
また、寺に所属する江戸時代の名陶・欽古堂亀祐(きんこどうきすけ 1765~1837)
の陶墓や青磁象香炉は、貴重な美術品として珍重されている。 京都市駒札
欽古堂亀祐は姓は土岐または中村と称し、明和2年(1765)伏見街道の一の橋付近に生まれた。
屋号を丹波屋あるいは亀屋・丹亀ともいい、街道筋の店舗で土器や土偶類を主とした
日用雑貨類の生産販売をしていた。
名物の「伏見人形」は、型づくりの素焼きの人形に彩色を加えただけの素朴なところが愛用され、
稲荷詣での土産として人気があった。その種類は多く30種類におよんでいる。
伏見人形は元和年間(1615~1623) 觴幸右衛門(いかるが)の創業によるといわれている。
元禄年間から次第に発展し、文化・文政時代がもっとも盛んであった。
亀祐も小さい時から関心をもち、奥田穎川(えいせん)に師事し、
高橋道八や青木木米(もくべい)とならぶ逸材となり、青磁を主とした名品を作り、
京焼の伝統に新境地を開いた。
元禄8年(1837)3月26日亡くなる。享年73歳。
専称寺には、寛政12年(1800)2月在銘の遺品作「青磁象形大香炉」がある。
墓地には美しく彩色された陶製の墓がある。
家族の戒名が書かれ回転式になっている。文政12年(1829)作られた
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七条小橋 琵琶湖疏水 出口
東海道線 その向こうは新幹線
当日の 鴨川 上流を見る 七条大橋から 五条方面・北方向
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