昭和40年7月 建立
紫雲山頂法寺と号する寺で、本堂が六角宝形造であることから、一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。開基は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めてこの地を訪れた時,霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。早くから人々の崇敬を受け、弘仁13年(822)には嵯峨天皇の勅願所となり、また長徳2年(996)には花山法皇の御幸があり、西国三十三所観音霊場(現十八番の札所)となったと伝えられる。建仁元年(1201)、親鸞聖人が当寺に比叡山より100箇日間ここに参籠して霊告を受け、後に真宗を開宗する根源となった。創建以来しばしば火災にかかった。現在の本堂は、元治元年(1864)の兵火に類焼後、明治8年(1875)の再建で、
聖徳太子の持仏と伝える本尊如意輪観音像は一寸八分(約5センチ)の小さな秘仏で公開されていませんが本尊をそのまま模してつくられた御前立によっておがめます。親鸞上人夢想の像、平安期の作の毘沙門天立像(重文)、聖徳太子2歳像、などを安置する。
へそ石餅
へそ石
本堂前の六角形の直径45センチ、伽藍の礎石か灯篭の台石かよくわからないが臍石といい、もと門前の六角通の中央にあったが、江戸時代の名所図会にも道の真ん中にへそ石が描かれています。交通の妨害になるというので、東門を入った境内の敷石参道の中央に埋め込まれ、近年さらに今のところに移した。当寺が創建以来、寺地を変えることなく、また昔は京都の中心にあたるとされてきた。「要石」ともいう。
扁額
大提灯
香炉 煙が絶えない
大燈籠
札がいっぱい 貼られています
本堂の背面
手水舎
十六羅漢
親鸞堂
親鸞上人
日彰稲荷
右から 祇園社、唐嵜社、天満社
本堂 東から見ています
本堂 瓦には「六角堂」と刻まれています
石不動
不動明王
六角形が使われています
ここも 六角形が使われています
また、本堂北の本坊は池坊と呼ばれ、室町時代以降、多くのいけ花の名手を輩出した所で、足利義政より華道家元の号を賜った。華道発祥の地として有名である。現在も池坊華道の拠点となっている。 京都市
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